得意を生かして魅力アピール

新しくできた書店に行ってみたら、大きな文具売り場と一体化した造りになっていました。ふと隣を見ると可愛らしい文具がいっぱいあって、目の保養になりましたね。この前新設のところはカフェがついていましたし、一階が個展などを開けるギャラリーで、二階が書籍売り場になっているところもあります。本を売るだけでは経営が難しいのでしょうか。それとも、読書離れをしている人達を、別のもので引き寄せようとしているのかしら。どちらにせよ、新規オープンはありがたいことです。
そういえば、近所にはありませんが、専門性の高いお店も存在するようですね。猫に特化していたり、電子機器に関するものが置かれていたり、歴史に関するものが中心だったり……こういうものは、それが好きという人にはたまらないものでしょうね。そういうところはたいてい小さい店のようですが、実際、全国から人が集まるのだとか。
結局のところ、何事でも、自分のウリを前面に押し出していくのが大切なのかな、と思いまます。就職活動で「あなたの長所はなんですか」と聞かれた時に、困ってしまうようではいけないということでしょう。しかしそう考えると、私のいいところ、得意分野はなにかしら。考えてしまいますね。

読書と日常、出所の違う知識

先日初心者用のレシピ本を貸した友人から、驚きを示すメールが送られてきました。「ねえ、これ初めて知ったんだけど、ハンバーグのお肉って、あいびきをつかうんだね。うち、豚だったよ」家庭の味はそれぞれですから、家人の好みによっては、そのようなこともあるでしょう。友達はどうやら、外食の時はお店があえて、特別なお肉を使っていると思っていたそうです。
日常になっていることのなかにも、このような新しい発見はあるのだなあと実感した出来事でした。ちなみに私が最近知ったのは、毛玉をとりすぎると、布地が薄くなってしまうということでしょうか。今まで特に意識したことはなかったので、考えてみればそうだよなあ、と納得したのを覚えています。
私はこれまで、本をたくさん読んできて、他の人よりは物事を知っているような気になっていました。でもそれは教科書で学ぶようなものや、自分が興味を持っていることについてだけだったのですよね。経験から得られることの中にも、そして当然、書籍の中に書いてあるものについても、まだまだたくさんの未知なる情報があります。けして自信過剰にならず、読書と日常生活を併用して、これからもいろいろなことを学んでいけたらいいと思います。

お古のおかげで本が二倍

この間近所のスーパーに行った時に、姉妹と思われる少女が、お揃いのワンピースを着ていました。それで思いだしたのは、自分の子供時代のことです。末っ子の友人は「自分はいつもお古を使っている」とぼやいていました。
子供はすぐに大きくなってしまいますから、親としては、個々に買うのは勿体ないと思うのでしょうね。今ならばその気持ちはわかります。でも本人としては「いつも新しいものを買ってもらうのは、お姉ちゃんばかり」という不満があったのでしょう。ただ私は、それを羨ましいと思っていました。だってたとえば、読書感想文を書く時のことを考えてみてください。あれは課題図書が決まっていたので、お古ではなく、彼女は新しい本を買ってもらえたんです。そうすると、姉の分と自分の分で、二冊の新刊が読めるんですよ。私は毎年厳選して一冊選んでいたのに、です。
隣の芝は青いと言いますが、結局はどっちもどっちなのですよね。親も限りある収入の中で苦労して子育てをしてくれていたはずなので、何も言えませんが、私が今たくさん本を買ってしまうのは、当時の反動もあるかもしれない、と思っています。ただ単に、面白そうな作品があるから、というのも考えられますけどね。

頑張らない読書

友人が「本って表紙を開くのが、ハードルが高いことあるよね」と言いました。確かにそうなのですよね。疲れている時は、そのたったひとつの行動が、とても手間に感じられるのです。しかしだからといって、電子書籍を読むために、パソコンのキーボードを叩くのも面倒と感じられるのですから、もうどうしようもありません。
私は、そういう気持ちの時は、自分は本を読みたくないのだろうと、きっぱり割り切ることにしています。たとえ図書館で借りてきたものの返却期限が迫っていたとしても、読了を諦めるのです。だって、無理をして読んだって内容は頭に入ってきませんし、苦痛なだけですもの。気がのらなくても頑張らなくてはいけない読書は、勉強に関するものだけだでしょう。
学生時代、嫌いな科目の教科書を読むのは、本当に嫌でした。テスト前だから集中しなくてはと思うけれど、やりたくないという思いが先に立ち、時間だけが経過していくのです。改善したのは、時間を区切ることを覚えた時でしたね。一時間だけ頑張ろう、そう思えば、案外乗り切れるものです。ただその策を得てなお、大人になって、そのような苦労なく好きな本が選べるようになった時は、嬉しかったですね。自由は幸福に通じるものだと実感しました。

公式ガイドで興味津々

有名な映画やドラマ、アニメなど、時々、公式ガイドと呼ばれる本が出版されることがありますよね。大抵は書店の目立つ場所に平積みになっていることが多く、該当作を知らなくても、つい目を惹かれます。ただ私の場合、そのまま購入してしまうことすらあるんです。たとえば表紙に出ている登場人物が格好良かったから、あるいはふと手に取ってあらすじを読んだら、面白そうだったから、等々。つまりその本が、私の興味を原作へと惹きつけたということですね。
その後は当然、元となった作品を見ますよ。夢中になるかならないかは、その時次第。なにせ先に公式ガイドを見てしまっているので、ちょっとしたネタはわかってしまっていますから、ちょっとした確認作業にも近い思いです。でも画面に映っている方はやっぱり素敵で、ストーリーは魅力的。後々も追いかけるほどになるかはわからずとも、その時は精一杯楽しんでいます。
公式ガイドなんて、本当にマニアなファンが買うんだろうと思っていた頃もありましたが、このような経験を経て、今ではすっかり考えが変わりました。人気作の『面白い』がたくさん詰まった最良テキスト、もし良さそうなものがあったら、またなにか買ってみようかしら。

石がジュエリーになるまで

友人の家で、宝石の写真集を見ました。彼女はあのきらきらとした美しい石が大好きなのです。ただ、身につけることにはあまり興味がないのだとか。アクセサリーとして使うことしか考えてこなかった私は、彼女の言い分に驚きました。しかし人の好みはそれぞれですから、これも楽しみ方のひとつなのでしょう。それに、私はこの写真集で知ったのですが、美しいカットをされてジュエリーとして加工されたものではなく、現先の中のひと筋の輝きも、とても魅力的なのです。
これが土の中から出てくるとすれば、まさに宝探しと言うにふさわしいでしょう。ですが、見つけるのは大変でしょうね……だって、一日中暗いところで土を掘り、それを細かく仕分けして、やっとのことで、ジュエリーに加工できるものがある、といった具合ですもの。しかも、石はここから研磨しないといけません。一ミリの狂いも許されない、細かな作業を続け、台座に取りつけたりして、やっとお店に並ぶのです。
これらはすべて、本に書かれていました。自分が知らなかった業界のことを知り、宝石の付加価値に気付かされた思いでしたね。またそれは同時に、目の前にあるものから、見知らぬ世界を見せてくれるのが書籍だということを、実感したひとときでもありました。

執筆ロボットが生まれたら

この前ラジオドラマを聞いていた時に、ふと思いだしたことがあります。今のように録音したものを流していなかった時代、ドラマの途中の効果音はすべて、その場で作られていたそうなのです。波の音ならば、ざるに小豆を入れて、ざあ、と聞こえるように振っていたのだとか、音を作る専門の人がいた、とか。なにせ昔のことで記憶も曖昧だけれども、まさに職人技と言える技術に、驚いたことだけは覚えています。
ただ、本当の波の音を録音してきて、使える今は、必要のないポジションなのですよね。マンパワーが、機械にとって変わられていく……便利ですが、ちょっとさみしくもあります。しかしこれが時代の変化でもあるのでしょう。もしかしたらいつかは、執筆ロボットなんて物が生まれるかもしれません。
ストーリーから考えられるのであれば、きっとプロット通り、スケジュール通りに作品を仕上げられるロボットは、人間より有能そうですね。でもこれじゃ、工場での大量生産と変わらないかしら。決まったフレーズを上手く並べて文章を作る機械。どうでしょう、やっぱりちょっと、ピンとこないかな。人間が想像できる物は、いつかは世に出るといいますが、これはまだ、二次元の中の話だけで十分です。

絵本のクイズは難しい

この間、親戚の子供が遊びにやってきました。その際に持っていたのが、動物の絵本です。かわいらしいなあ、と微笑ましい気持ちで眺めていたのですが、それは、曲者でした。なんと、ページに動物の足の裏の絵があって「これは何の足?」というようなクイズになっているのです。そんなのじっくり見たことないよ!というようなものまでいるんですよ。
当然、子供に聞かれてもわかりません。でも当人はもうとっくに知っているわけです。あの時の得意げな顔は、思いだすと笑ってしまうほど愛おしいのだけれど、その場ではとても悔しかったです。他二は、国旗がずらっと載っているのも、難関でした。地理は苦手なんです。
あとは、果物の切り口が描いてあったり、工場見学風だったりと、絵本も本当に進化していますよね。私が小さい頃にも、こんなものがあったのかしら?と疑問に思ってしまうほどです。でもやっぱり、私が一番目を引くのは、飛び出すものとか、シールが貼れるタイプかしら。ああいう遊べる本は、他になかなかありませんからね。つい夢中になって、一緒に眺めてしまいます。その他、塗り絵も楽しいかなあ。これは、いつかやってみたいと思って、実は一冊、机の引き出しにしまっています。

図書カード、使う時はいつでしょう

友達が、家族に図書カードを貰ったそうです。抽選で当たった物が流れてきたとのことですが、面白いのですよ。「このカードがあれば、現金がなくても本が買えると思うと、勿体なくて使えない」なんて言うのです。私だったらきっとすぐに、書店にとんでいきます。だって大事にとっておいても、腐るものでも使用期限があるものでもないので、いいと言えばいいですが、やっぱりいつかは使うものですし……。と、なぜか話を聞いた私のほうが、悶々としてしまいました。ちなみにこれは、数か月も前のことです。
そしてつい先日、同じ友達に会ったところ「やっぱりまだ使えない」ですって。お小遣いが足りないけれど、どうしても欲しい本がある時に使いたい、などと思っているのかもしれません。その気持ちなら、わからなくもないです。だってそれで諦めたことは、何回もありますもの。
こんな話を聞いていると、この友達が、とてもかわいく思えてきます。まったく、働いてる社会人なのにと思ってみたり、それほど大事にしてるのね、なんて感じてみたり。お年玉を貰って、すぐにおもちゃ屋に向かって行った遠い昔の自分とは、比較にならない愛おしさです。その頃に買ったぬいぐるみは、今でも我が家で元気にしています。

メモに書かれたリストの記憶

お財布の中身を整理していたら、小さなメモを見つけました。開いてみれば、本の題名がずらりと並んでいます。どうやら、欲しい本のリストのようです。今はたいていのものはネット通販で購入するので、こんな一覧にまとめることはありません。興味の内容からしても、どうやらしばらく前のもののようでした。
そういえば、こういうのを集めていた時期があったなあと懐かしく眺めながら、書棚に並んでいる作品を思い浮かべます。当時集めた物は今も何冊か残っていますが、全部が奥にあって、ここ最近は、手にとった記憶すらありません。おそらくは、読み返すことも近いうちにはないでしょう。でも昔は、こうしてリストにするくらい熱心に探していたんですよね。時間の経過、自分の成長を見ているようで、なんとも不思議な気持ちになりました。
今度ゆっくり過ごせる時間ができた時に、書棚から引っ張り出して、ページをめくってみようかしら。原点回帰じゃないけれど、古い記憶の中に新しいことが見つかりそうな予感がしています。もちろんただの直感なので、当たるかはわかりませんけれど、ちょっとした労力を費やせばいいだけなので、そういうつもりで古い作品を見てみるのも面白そうです。