人それぞれの生きる術

「読書とは生きる術を探すもの」そう言った友人がいました。「小説を楽しむのもいい、知識を学ぶのもいい、けれど最終的には違う目的があるのではないか」という言葉の先に、続いたものです。もちろんこれは、処世術という意味ではないでしょう。
今までは一緒に、漫画やライトノベルを楽しんでいたのに、何があったのかと思い聞いてみると、とても感銘を受ける作品に出会ったのだということでした。彼女は、たとえば登場人物がかっこいい!と盛り上がっている作品があるとして、そのキャラやストーリー以外に目を向ければ、違ったものが得られるというのです。
言われてみれば、確かにそうかもしれない、と思う部分があります。以前読んだバトル漫画は、中世の外国を舞台にした作品でしたが、たとえばそこに描かれている文化は、史実に似通ったものがあります。それがきっかけで実際の歴史に興味を持ち、実際に学問として取り組む人もいるかもしれませんし、その登場人物そのものの考え方が、私たちの今後の思考に影響を与えることだってあるのです。
生きる術というととても難しいことのように感じられますが、きっとそれらは、案外身近にあるのでしょう。目から鱗の、友人の一言でした。

電話ボックスで本の交換

先日、テレビで、自宅前に設置した小さな木箱に、使わなくなった電話ボックスに、そして店の周囲の壁に、古本が並んでいるのを見ました。どれも外国の話ですが、どこも、本を物々交換するために設置されたのだそうです。とても素敵な発想ですよね。もし自宅近くにこのような場所があったら、私は毎日通ってしまうと思います。でも日本でも同じ方式が成り立つかしら。こういう目新しい物は皆、距離を置きがちなイメージがして、どうも想像がつきません。
ただもしかしたら、うちの近くにないだけで、どこかにはあるのかもしれませんよね。しかし大きな図書館ならインターネットで検索して探すことも可能ですが、地域の人が設置した小さな場所は、現地へ足を運ばない限りは、その存在を知ることは難しいでしょうから、現状では、私が出会う機会は少なそうです。もし旅行に訪れたり、近場でも普段は通らない道を歩く時は、ちょっときょろきょろしてみるのが良いでしょうか。
ここまで書いてふと思いましたが、そういえば、最近は公衆電話を見る機会がずいぶん減っていますね。この間初めて行った病院にあった時は、「こんなところにあるんだ」と驚いてしまいましたもの。そうなると、電話ボックスに出会う可能性は低いかしら。残念です。

好きな本だけ読めばいい

いつだったか、ベストセラーを手にした知人が言いました。「本なんて、面白かったら読めばいいし、つまらなかったら途中でやめればいいんですよ」流行りの作品には必ず目を通す彼に、どうしてそんなにたくさんのものを読めるのか、と聞いた時のことです。当然と言えば当然、しかし目から鱗に感じる人もいるのではないでしょうか。私たちは幼い頃から、毒はすることを求められているからです。
思えば小学生の頃は、毎日音読の宿題がありました。国語で習っている文章を、ひたすら繰り返して読むのですが、一時間で一作学ぶわけではないですからね。長期にわたるにつれ、読む方も聞く方も飽きてくるのですよ。もちろん学びの一環ですから、途中で「飽きたからやめる」「つまらないから別の話にする」などということはできません。でも勉強ではなく自由に選ぶ作品なら、それをしたって、誰も責める人はいないのです。
読書が苦手という人にこそ、ぜひ好きな本を次々に手に取ってほしいし、いつか、運命の一冊とも呼べるよなものに出会ってほしいと思います。そうしたら絶対に、本に対する意識が変わっていきます。無理しなくていい、好きな作品でいい、途中でやめてもいい。その言葉を胸に置けば、少しは気楽に、活字に向き合えるでしょう。