温まりながら堪能する冬の小説

とある雨が降る夜、布団の中で小説を読み耽っていました。その日は少々肌寒かったため、温かい毛布と厚手の布団をまといながら読書を楽しみました。読んでいた作品には雪がよく降る冬のことが書かれていたことを覚えています。冬が訪れる前に様々なことが起きたようで登場人物達にとっては忘れることの出来ない一年だったと文中に書かれていました。私が最も印象に残ったのは数ある出来事は去ることながら雪の夜の光景でした。悲しいことや辛い出来事が起こったにも関わらず、空から舞い落ちる雪はこうした出来事をまるで温かく包み込んでいるように感じたからです。また外は寒くて凍えそうなのに部屋の中にいる登場人物達は過去を淡々と振り返りながら、生きていることをしっかりと噛みしめているように思いました。こうした光景は決して美しくて素敵なことだけがある人生ではないことを悟った上で、憂いを持ちながらも愛する者を慈しみながら暮らしてゆく大切さを教えてくれたのでした。
寒い日に暖かい部屋にいるとホッコリとした気持ちになり幸せになります。それは生きることも同じなような気がします。思いも寄らない嵐が身の上に訪れても、それを遮り雨宿りできる拠りどころがあることはささやかな幸せを感じることにも繋がります。この小説をまた読む機会があれば、雪の日にココアでも飲みながら作品の世界観を堪能できたらいいと思いました。

美術展で出会った漢文の書籍

アートイベントでは思いも寄らない展示を目にすることが多々あります。それもまた美術の楽しみ方だと感じています。数週間前の週末に訪れた現代アートを展示するイベントではアジア各国のクリエイター達が手掛けた作品が出展されていました。ヨーロッパやアメリカ、日本のアーティストの美術策銀を鑑賞する機会は何度かありましたが、日本以外のアジアで活躍するクリエイターのアートにふれることができるのは希だと感じました。そのためかなり気合いを入れてこのイベントに望んだのでした。斬新でユニークなものが多く、素晴らしいものばかりでしたが、一際印象に残ったのは紡いだ糸を使ったオブジェでした。動物のようなお面とまるで毛に覆われた体をイメージさせる長くて美しい糸が紡がれたもので、全長は5メートル位の大作でした。糸は青が基調となりながらも言葉で表現することが難しいほどにたくさんの色からなっており、丹精に作られたことを垣間見ることができました。また会場の一画にはアーティストを紹介した書籍が何冊か置かれており、漢文で記載されていたのでした。読んではみたものの、一つ一つの漢字の意味合いは分かっても読解は非常に困難だったのです。しかしながら今まで触れることのなかった本に出会い貴重な経験ができたと感じました。もし時間が許されるのであれば、じっくり漢文の読解に励みたいと密かなチャレンジ精神が沸いております。

猫に生まれ変わるのもよいかもしれない

もし何かの事件に巻き込まれてしまって、不本意な命の落とし方をしてしまったら。私はきっとこの世に未練たらたらで、まだあの世に行きたくないと強い観念にかられてしまいそうです。こんなことを想像するのは心許なく思いますが、大切な友達や家族のそばで少しけぬくぬく暮らす時間があってもよいかもしれません。その時は猫に生まれ変わってみるのはどうかと思うのです。こんなことを考えたのは、先ほど一匹の猫が主人公の短編小説を読んだことがきっかけでした。不意な事故で亡くなった女性は自分が命を落としてしまったことにも気付かず、猫として夫の隣に寄り添いながら自分の通夜を眺めます。一見切ない小説ですが悲しみを感じさせず、どちらかというと滑稽でユニークな印象をもたらしてくれる物語でした。怒りや嬉しさを込めて「ニャー」と鳴いてみても、「ただただ可愛いい」という印象しか与えないことに少々もどかしさを感じますが、居心地がいい場所で好きな人に撫でられながら暮らすのも悪くありません。
この作品はしっかりとした推理小説に仕上がっており、愛らしい動物の登場がきっかけとなり殺人事件は無事解決、ラストには意外なオチも含まれていて読み応え十分でした。末永く人間として暮らしてゆきたいと思っておりますが、もし少しの間だけ違う者になることができるのであれば、やっぱり猫がいいと完読した後に強く思ったことは言うまでもありません。

お酒の力を借りたい夜もある

考え事がある時、お気に入りのスタンディングバーに入りじっくりと腰を据えて一人でお酒を飲むことがあります。喫茶店でコーヒーを飲む事も好きなのですが、とにかくボーっとしたい時にお酒の力を借りると有効に働くことを遠い過去に知りました。そのため小説を読んでいて、登場人物が寡黙にカウンターに座ってグラスを傾けている姿が書かれていると妙に親近感が湧いてくるようになったものです。また今まで読んできた小説には様々な形でお酒と人が登場し、交わりあっていたことが思い出されます。苦悩や悲しみを抱えながら、それをまぎらわすためにビールやワイン、ウィスキーで心を潤してささやかな気分転換をしているところからは、生きることのもどかしさや切なさを知りました。特に好きなシーンは、ある小説で男性が淡い光が漂うバーの木目調のカウンターで、ビールとナッツを食べるシーンでした。その男性はまめに自炊や洗濯もしており、日々の生活を丁寧に過ごしています。孤独にさいなまれながらも、自堕落にならずしっかりと地に足を着けて暮らしている姿はとても素敵です。そんな彼にとってバーでのくつろぎは極上の贅沢なのではないかと感じたし、このような小さな楽しみは生きることの潤滑油になると思いました。私も自分と向き合う時間を持ちながら、肩の荷を背負い過ぎずにでもしっかりと生きてゆきたいと密かに願っております。

本との思い出を胸にお片付け

普段から読み終えた書籍をしまう心掛けをしようと努めてはいるものの、なかなかうまくゆかないのが現実です。そこで部屋の片付けを兼ねて書籍達を収納することにしました。どこに入れようか考えたのですが収まる場がなかなか見つからず、やっとの思いで探し当てたのは洋服をいれているクローゼットです。ハンガーに掛けられた洋服達の下に50センチメートルほど空いている場所があったため、そこに置いてみました。そんな大仕事をしながらまるでジェンガのように積まれた本を一冊ずつ手に取り、作品のことを振り返ってみると、長編小説、随筆、文芸誌やキッチンのインテリアについて書かれた本など、ここ数ヶ月に渡り手にしてきた作品達との思い出が走馬燈のように蘇るものです。なかでも長編小説は数週間掛けて完読したこともあり、こみ上げてくる感情もひとしおだと感じます。そして読み終えた後のかすかな寂しさと喪失感も同時に思い出されて、切ない気持ちになることもありました。
こうした一冊一冊の思い出を振り返る時間はなかなかいいものです。またお片付けされた本達は、意外にも女子力が高いものが多いという自分の意外な一面をも気付かされた良き機会でもありました。何はともあれ、せっかく女性らしい書籍を読んでいるのだから、お部屋も小まめに片付けて綺麗にしなければとちょっと自分にカツを入れたことは言うまでもありません。

体の変化を受け入れながら食を楽しむこと

欧米化が進み、私達の食生活は大きく変わってきたように思えます。こうした時代背景からか、最近では健康についての書籍がブックストアの棚にたくさん並ぶようになりました。私も足を運んだ折にはこうした本を手に取ることも増え、興味深い内容のものは積極的に購入するようになりました。
先日友人の家で夕ご飯をご馳走になった時、一冊の本を紹介してくれました。彼女は料理上手で日頃から体にいい材料や献立について、本を通して学んでいるようです。そのためお手製の料理はどれも美味しくて野菜とタンパク質、糖質のバランスが抜群なのです。何よりも手が込んだものより簡単に作ることが出来るレシピをたくさん知っているので、おうちでおもてなしを受ける際に興味を引いた料理は必ずレシピを聞くようにしています。その甲斐もあって栄養バランスに富んだレパートリーが徐々に増えつつあります。
この日レコメンドしてくれた作品は「炭水化物の摂取」について書かれたものでした。年を取ると基礎代謝が低下してゆくため、自分の体に見合った食事をすることがより大切になってくるようです。その本にも年齢による体の変化に応じた炭水化物の摂り方が記されていました。白米は基より玄米や雑穀を取り入れること、一日の中で摂取する米やパンの目分量などの詳細が書かれていて、学ぶことがたくさんあると感じました。またお酒では赤ワインがいいようで、書籍で知ったのをいいことにこの日の晩餐でもたらふく飲み、気付いたら幾つものボトルが空いていたのでした。そして健康であることでこうした楽しい時間を過ごすことが出来ることを再確認し、これからも体と真摯に向き合って暮らしてゆこうと思いました。

学生時代から変わらない悩みもある

高校生の時に出会った幾つかの小説は私の心に強く刻まれています。思春期の真っただ中にあり、毎日様々な悩みが心に浮かび消えてゆくような不安定だったあの頃に出会った文学作品には格別な思いがあるのかもしれません。そのためかあれから年月が経った今でもあの頃手にした作家の小説を無性に欲することがあるのです。
先日一冊の本を読み終え活字を欲していたこともあり、家の近くにある図書館へ向かいました。とりあえずその時の気分に合った書籍を借りようと決め、館内の棚をくまなく眺めながら短編小説が収められた単行本を借りることにしました。それは学生の頃に読んで感銘を受けた女性作家が書いたものでした。病に冒された女性が登場する物語で、わがままだけどどこか人間味溢れる姿に共感したことを覚えています。そして彼女のように自分の感情を他者へぶつけることができたらどんなに清々しく生きる事ができるだろうと考えていたことを本棚の前でふと思い出したのでした。それは今でも考えていることでもあり、あの頃も昔も私の心はあまり変わっていないことに気付かされました。若かった私は、大人になったらもっと楽になっていて今抱えている悩みは全て解決していると考えていたけど、そんなに簡単なことではないことを長い年月を掛けて学んだと感じています。借りた本を読み進めながら当時の自分を振り返りつつもこれから先を見据えて歩んでゆこうと思ったのでした。

変わり者が教えてくれる人間という存在

昨日コンビニエンスストアで働く女性を主人公にした小説を読みました。小さな頃から社会の中で居心地の悪さを感じてきた彼女にとってコンビニでのバイトはライフスタイルの最も重要な居場所です。というよりもそこが生きる世界であり、バイトを軸に暮らしのスタイルが形成されていると言っても過言ではありません。そんな彼女に転機が訪れたのは職場で出会ったアクが強い男性の存在であり、それは今まで知る事のなかった新しい価値観を与えます。男性は友達にはなりたくないような嫌な奴なのですが、作品においてはシュールさと絶妙なユーモアを与えていました。主人公もまたキャラクター的要素が非常に辛かったため、この男女のやり取りは非常に面白く思わず笑ってしまうほどでした。
そんな斬新でユーモア溢れる作品からは他者から与えられる影響、またどんな生活をしていても社会というコミュニティに属している現実を改めて考えさせられました。そして誰かと比べて優位に立つことで劣等感を埋め、自分よりも劣っている者がいることで安心感を得るという人の弱さと滑稽さを感じました。職業や生き方で他者を判断してはいけないと頭では分かっていますが、実際は社会にどういう形で属しどんなライフスタイルを送っているかを誰しもが心のどこかで気にしており、判断基準にしているのではないでしょか。知能と限りない欲を持つ私達はもしかするとより生きやすくするがために、周囲の誰よりも優位に立つことを必死に考えているのかもしれません。それは綺麗ごとでは決して片付けられない人間の真の姿ではないかと学んだのでした。

本屋で手にした文芸誌

先日本屋の店頭で文芸誌のページをめくってみました。友達との待ち合わせまで時間があったため、近くにある書店に寄ってたまたま目にしたことがきっかけでした。今から数年前に面白そうな特集が組まれているものや、読み切りの短編ものを目的に何度か購入したことがありました。あれから年月が経っていたためか、文芸誌に触れたことはとても新鮮だったように感じます。いくつかの出版社から発行されており、掲載されている作品にもそれぞれの企業の個性が反映されているようでした。目次を見ていると今月号から始まる新しいエッセイや既に連載中の小説などが載っており、本好きな私には魅力が詰まった書籍だと感じました。また知っている小説家の名前も多数あったため、掲載されている作品をすべて網羅したという強い願望に駆られたものです。
さて文芸誌と言えば、新人賞という言葉が即座に頭に浮かぶためか、作家になる登竜門として小説家を目指す方々が応募する姿を想像したものです。私が手にした書籍にも賞の公募記事があり「この賞から今後活躍する作家が生まれるかも」という気持ちが沸き上がったのでした。読書好きな人も小説家を目指す人も手にする文芸誌。そこには夢とロマンと希望が詰め込まれていると感じました。

暴れん坊が天使になるとき

図書館で、絵本の読み聞かせに参加しました。とは言っても、読んでもらう方です。親戚の子がその親と一緒に行く予定だったのですが、お母さんの体調が悪くなり、私がピンチヒッターに選ばれたのでした。
しかし、絵本ってすごいですね。それまでは散々騒ぎ、飛び回っていた三歳児が、ぴたりと大人しくなるのですもの。大きな目で司書さんがめくるページを凝視して、時々私に「あれは何々だよ」「面白いね」などと話しかけてきます。そのときの、いかにも「発見した!」というような嬉しそうな顔ったら、暴れん坊と化しているときばかり見ていた私にとっては、まるで天使のように感じられました。
ただ、後ほど子供を送るついでにお母さんに報告したところ「それは運が良かったね」と笑われました。話の内容が興味ないもののときは、読んでもらっている最中もうろうろしているのですって。そうか、今日のはたらく車や動物が、その子にとってはとても楽しいものだったのですね。もしこれがお姫様のお話だったら、もっと様子が違ったのかしら。とりあえずは、今度我が家に遊びに来るときのために、好きそうな絵本を用意しておこうと思います。そうしたら、暴れん坊にならないものね。