『好き』は変わる

先日、我が家に遊びに来た知人の子供が、私の部屋の書棚にかかっているカーテンを開いて、中を覗いていました。埃避けもあるけれど、見られたくないから隠しているのに……。彼はまだひらがなしか読めないので問題はありませんでしたが、もっと大きくなった時のために、本の並べ方も考えないといけませんね。友人には「思春期の子供が、親に秘密を知られた時みたいな顔してたよ」と笑われてしまいました。
世の中にはいろいろな本が出回っていますから、好みによっては、知られたくないものもあるでしょう。それは年齢制限があるかないかの区別によらずです。なんだってそうですよね。自分はいいと思うものが、相手によっては地雷となっている場合も多々あります。
私はよほどのことがない限り、人が好きなものの話は聞くようにしています。もしかしたら、自分は避けていたけれど、その中に楽しみのきっかけがあるかもしれないからです。子供の頃に好きだったトマトが、大人になってから嫌いになった友人のように、嗜好はいつ変わるかわかりませんから、自分からその変化を遠ざけてしまうのは、勿体ないと思っているのです。……ただ、私の書棚にある物は、彼がもう少し大きくなるまでは、やっぱり隠しておきましょう。

セットで見たい本作とスピンオフ

私がスピンオフという言葉を知ったのは、どのくらい前のことでしょうか。それが『メインの作品の脇役を取り上げて、その人を主人公に作られた作品』と知った時、どうしてそんなことをするのだろうと考えたのを覚えています。既に素晴らしい本作があって、ちゃんとした主人公もいるのだから、それで満足すればいいじゃないか、と思ったのです。
しかし実際に見てみれば、とても新鮮でした。その脇役のことは、正直に言えばそれほど好きだったわけではないのですが、その人にも人生があり、考えがあり、未来があるということがわかったからです。そんなことを意識し始めると、個々の個性を大切にしながら、個人の人生が重なるドラマを作るというのは、どれほど大変なことなのでしょう。大人のプロ集団が頭を抱えて考えて、時間をかけて作り出し、やっと視聴者が感動するものを作り上げられるのです。
私は見事な作品を見るだけですが、深く意識すればするほど、作り手の方に感謝したくなりますし、彼らの尽力……努力ではなく、まさに良作のために尽くしている、その精神を尊敬します。ぜひこれらスピンオフ作品が、本作とともに、時代を超えて長く残って行きますようにと、お祈りしましょう。