双子は運命を分かつ?

頑なに占いを信じない友人がいます。彼女は双子なのですが、妹と同じ運勢になるのが、どうしても納得できないのだそうです。だから誕生日が関わるものは絶対信じず、タロットなどに関しては、受け入れています。こちらは確かに個人ごと、そしてタイミングによっても違った結果が出ますからね。
誕生日を使いものは占術というよりは統計学だという説もありますから、本来ならば、双子は同じような運勢になってもおかしくないのかもしれません。しかし一卵性双生児の彼女達は、姉はとても慎重な性格なのに対し、妹はまるで楽天的で、顔は当然そっくりなのだけれど、雰囲気は全然違います。これで同じ星の下に生まれましたと言われたら、疑問を持っても仕方無いと思えるほどには、差があるのです。
信じるか否かは人次第なので、私は特にどうとは思いません。ただ、彼女のような発想は面白いし画期的だな、と感じただけです。どちらにしろ各々が、人生という先の見えない道を歩いていくことには変わらないでしょう。この世に生を受けた誰もが冒険者……というと、ちょっとかっこよすぎるでしょうか。最近冒険ファンタジーばかり読んでいるので、剣を持ってけもの道を歩く勇者を想像してしまいました。

子供が文字を覚えるふたつの手段

最近の子供は、ゲームで文字を覚えることも増えているようです。保育士をしている友人が言っていました。そういえば皆、小さな頃からスマホを見たり、携帯ゲーム機で遊んだりしていますものね。おそらく最初は絵をメインに見ているけれど、そのうちになんとなく、文字がわかるようになるのでしょう。年上の兄弟と一緒にプレイしているうちに、覚えるのかもしれません。
もちろん、絵本やドリルで、ひらがなやカタカナを学ぶ子もいます。成長段階にある用事が、ゲームの画面を近い距離で見続けると、視力が低下すると考える方は多いですし、外遊びをしなくなって困ると言う親御さんもいますからね。真偽のほどは私にはわかりませんが、ゲーム開始年齢はそれぞれです。
でもどちらにしても、楽しみながら学んで、いつのまにか文字が読めるようになっていたというのが理想でしょう。そういえば私の知り合いの五歳児は電車が好きで、図鑑を見ているうちに、漢字までわかるようになったらしいです。一文字ずつだとわからないけれど、それが繋がって名称になると、すらすら名前を読み上げるのですって。写真や絵を見て「これは○○」と言うのと同じ感覚なのですね。子供の記憶力って、素晴らしいと思います。

年月が経っても変わらないファッションの心髄から学ぶこと

今から十数年前に発売されたファッションについて書かれた随筆を読みました。オリジナリティ溢れるイラストと筋が通ったエッセイには、学ぶことがたくさん詰まっていました。当時の流行りのアイテムから定番のものまで、イラストの色合いはとてもセンスが良く明日にでも使えるコーディネートがたくさん載っていました。そして丹精に書かれた絵や文章から最も印象に残ったことは、体型などのコンプレックスを把握することでその人らしさが反映されたセンスを表現できることでした。個性を生かしたコーディネートとは、体型を把握して嫌いな部分をどんな風に魅せるかがとても重要なカギになるのです。また短所を受け入れること、それをどう生かすかを考えることは、自分自身を受け入れつつ嫌いな所を好きになることにも似ているようにも感じたのでした。こうしたことからおしゃれを上手に楽しむことは、自分を愛する一歩にも繋がるのではないかと思うようになりました。
ファッションは着る人のセンスだけではなく、職業やライフスタイルまでも反映するものです。そのため清潔感を持ちつつTPOに合わせた洋服を着ることは、人とよい関係を築くためにも重要な要素になります。今ある自分を美しく表現することは、相手に私という人間を理解してもらう手助けになることを改めて知ったのでした。

自分の時間が宝物

この間、親戚の子供の誕生会をしました。ケーキを買って、ごちそうを作って、プレゼントを用意して、大人たちは大忙しです。ただ祝われる本人は朝からご機嫌で、家じゅうを駆け回っていました。「今日はお誕生日なの」と皆知っていて、そのために集まっているというのに、全員に言っているのです。なんて微笑ましい四歳児でしょう。
そんな少女を見ていてふと思いだしたのが、祖母と母のことでした。祖母は自分の誕生日を忘れてしまうことも多かったけれど、「おめでとう」と言うと、とても喜んでくれました。それに対しては母は「もう年なんてとりたくないよ、面倒くさい」なんて言っていましたね。なにが面倒なのかはわかりませんが、年齢を重ねたくないという気持ちは、わかる気がします。なぜなら次第に不調が出たり、疲れやすくなったりするからです。祖母はその時期を超えてしまったのかもしれません。
ただ私は、いつでも誕生日を嬉しいと思える人でありたいと思います。だって、私が過ごしてきた時間も、これから歩む人生も、私だけのものですもの。良い時も悪い時もあります。大きな嵐に出会い、これが人生の底かと思う経験もしました。それでもやっぱり、自分の時間を否定したくはないのです。

あなたも私の愛読書

先日ふと、人との付き合い方は、本との付き合い方に似ていると思いました。最初は「どんなことが書かれているんだろう」とわくわくしてページをめくり、読み進むうちに好みがわかれ、自分との相性を考えるようになります。その頃には相手の内面、本で言うならば内容を理解していますから、あとはどのような距離感で接していくか、と検討するわけです。毎日手にとるお気に入りにするのか、それとも困った時に開く教科書的なものにするのか。それによって置き場も変わるでしょう。
それを友達に言うと、彼女は「面白いことを考えるね」と笑った後に「私はどんな本だった?」と聞いてきました。「ずいぶん昔から付き合っているから、愛読書かな」と答えた時には「ありがとう」と言ってくれましたよ。
実際は毎日会っているわけではないから、単語の意味としたら、適切ではないかもしれません。でも、いつでも安心して手にとれる安心感や、どんなことでも話せる信頼はずっと変わらないのですよ。長く心の支えになってくれる愛読書にも等しい、いえ、それ以上に大事な人なのです。私は彼女にとってどんな存在なのかしら。尋ねる前に「あなたも私の愛読書」と教えてくれました。嬉しいけれど、照れますね。

ひとりきりの夜の時間

この間夜中に目を覚ますと、窓の外で、まるで嵐が来ているかのようごおごおという音が聞こえました。雨は降っていないのに風が強くて、家ががたがたと震えているのです。大人の私は「これで起きちゃったのか。うるさいなあ」と布団をかぶりました。でも眠れずに目を閉じている間にふと、子供の頃のことを思い出したのです。
台風で眠れなかった日に停電になり、真っ暗な中必死に廊下を歩いて、両親がいる部屋に向かったあのとき。「大丈夫、すぐ電気つくようになるよ」と言われて実際そうだったのだけれど、本当に怖くて、朝まで部屋に戻ることはありませんでした。今となっては微笑ましくも恥ずかしい思い出です。
夜を怖いと思わなくなったのはいつからでしょう。学生時代はひとりで過ごせる静かな時間として、読書を楽しんでいました。大人になってからは残念ながら体力が続かず、休息の時間になっています。一日が三十時間くらいあったら、もっといっぱい本が読めるのですけれどね。すべきこととやりたいことの優先順位を間違えてはいけないと思いつつも、未読のままたまった本の山が目に入ります。いつか、寝坊しても構わない日の前日に、たまには夜更かしをしてみましょうか。

親友二人の不思議な関係

私の友人の一人は、本を全く読みません。ずっと一か所に落ち着いているのが苦手なのですって。そのせいで、ドラマや映画も苦手としています。もう一人の友人は、読書も映画も大好きです。他のことは見えなくなるほどその世界に没頭し、集中している間はずっとじっとしています。そんな二人が、親友同士なのですよ。
お互いの考えを否定することなく、自分の趣味を押し付けることもなく、彼らは昔から一緒にいます。だからといって、何かを一緒にやるということはありませんが、音楽の趣味が一緒です。一方は歌ったり踊ったり、楽器を弾いたりしながら聞いて、もう一方は、ただひたすらじいっと聞き入っています。お互い相手に「静かにしろ」とか「一緒に歌おう」とかは言いません。
タイプが違う二人を繋いでいる音楽って偉大ですね。ちょっと仲間に入りたい気がするけれど、あの独特の空気を壊したくないし、自分の浅い知識では申し訳ない気もして、曲を聞いている時は邪魔をしないようにしています。ちなみに私が彼らと友達なのは、学生時代に同じ班になったからです。それ以来なんとなく一緒にいて、気付けば皆大人になりました。縁も切れずに、年に一度ほど集まっています。不思議な関係ですね。

変わらない本の好み

この間、長く使っていたDVDレコーダーが壊れてしまいました。読み取りをする部分がおかしくなってしまったのか、録画はできるのですが、再生ができないのです。修理をお願いしようと思ったけれども、どうやら買った方が安い様子……ということで、再購入を決めました。
ただ最近の主流はブルーレイレコーダーですし、機能も昔よりだいぶ増えていますので、実際に買う前に、いろいろと下調べをしないといけません。けして安いと言えない品物だからこそ、後悔することだけは避けたいのです。これは何を買う場合にも、同じことですよね。スーパーで野菜ひとつ選ぶにも、重い物が良いとかめがつまっている方が美味しいとかありますもの。それは主婦の友達に聞けば詳しく教えてもらえます。レコーダーは、家電製品に詳しい友人に相談してみようかしら。
困った時には聞いてくれる人がいて、自分は恵まれているなあと思います。そんな彼らにできるお返しは、各々が好きそうな面白い本が出た時に、教えてあげることくらいでしょうか。仲良しグループそれぞれが選んだ道は、今はまったく違った方向に進んでいるけれど、最初知りあったきっかけは、共通の作品のファンだったことなのです。

書庫は夢のたまもの

活字中毒とはよく言ったものだなあと、最近実感しています。だってそれを公言する友人は、活字ならばなんでもいいという勢いで、欲しがるのですもの。かくいう友人は常に本を持ち歩いてはいますが、それをうっかり道中で読み終えてしまうと、電車の中に置き忘れられている新聞や、フリーペーパーを読み始めていました。それがない時は車内広告に目を向けていたこともありましたね。彼女曰く「読んでいないと落ち着かない」のだそうです。
しかしもちろん、いつもこのような状態なのではありませんよ。当然仕事などには集中しますし、テレビだって見ることがあります。こうした症状が出るのは、あくまで彼女自身が暇だと思っている時限定です。しかし最近は、電子書籍を愛用しているせいで、このように文字を探すことはなくなりました。今読んでいるものが終わってしまったら、ボタンをぽちっと押すだけで、いくらでも本が買えるからです。
まったく、彼女にとっては天国のような時代になったものです。そんな友人は先日、自宅に書庫を作ったそうです。そういえば、学生時代に「そんなに本が好きなら、図書館の隣に住めばいいじゃない」と話したことを思いだしました。懐かしい思い出です。

倉庫を支えているのはロボット?

先日テレビで、大手通販会社の倉庫の中を見る機会がありました。広くてごみひとつ見えない清潔な廊下にもびっくりしたのですが、それよりも驚いたのは、荷物の入った棚を、下に車輪がついたロボットが運んでいたということです。誰かがリモコンで操作でもしているのかしらと思ってしまうほど見事な動きで、けしてぶつかることはありません。
あとから聞いた説明によると、お客様から注文が入ったら、このロボットたちが荷物の入っている棚を人間のところに持って行き、人はそこから必要なものをピックアップするのだそうです。要は、人間が該当の商品を探し回る手間がなくなっているわけですね。なんと見事な発想と技術でしょう。お掃除ロボが市販された時もかなり衝撃的でしたが、これはもう本当に、ここまできたかという感じでした。
もし少子高齢化で、元気に働ける年代が減っていくのだとしたら、このような手助けはありがたいですね。いつか家の中にも当たり前に、ロボットが参入してくる時代がくるのかしら。それとも、ボタンひとつでできあがった料理が出てくるとか。それこそ漫画みたいだなあと思いながらも、そのような未来はそう遠くないのかもしれないと思っています。