活字中毒とはよく言ったものだなあと、最近実感しています。だってそれを公言する友人は、活字ならばなんでもいいという勢いで、欲しがるのですもの。かくいう友人は常に本を持ち歩いてはいますが、それをうっかり道中で読み終えてしまうと、電車の中に置き忘れられている新聞や、フリーペーパーを読み始めていました。それがない時は車内広告に目を向けていたこともありましたね。彼女曰く「読んでいないと落ち着かない」のだそうです。
しかしもちろん、いつもこのような状態なのではありませんよ。当然仕事などには集中しますし、テレビだって見ることがあります。こうした症状が出るのは、あくまで彼女自身が暇だと思っている時限定です。しかし最近は、電子書籍を愛用しているせいで、このように文字を探すことはなくなりました。今読んでいるものが終わってしまったら、ボタンをぽちっと押すだけで、いくらでも本が買えるからです。
まったく、彼女にとっては天国のような時代になったものです。そんな友人は先日、自宅に書庫を作ったそうです。そういえば、学生時代に「そんなに本が好きなら、図書館の隣に住めばいいじゃない」と話したことを思いだしました。懐かしい思い出です。
倉庫を支えているのはロボット?
先日テレビで、大手通販会社の倉庫の中を見る機会がありました。広くてごみひとつ見えない清潔な廊下にもびっくりしたのですが、それよりも驚いたのは、荷物の入った棚を、下に車輪がついたロボットが運んでいたということです。誰かがリモコンで操作でもしているのかしらと思ってしまうほど見事な動きで、けしてぶつかることはありません。
あとから聞いた説明によると、お客様から注文が入ったら、このロボットたちが荷物の入っている棚を人間のところに持って行き、人はそこから必要なものをピックアップするのだそうです。要は、人間が該当の商品を探し回る手間がなくなっているわけですね。なんと見事な発想と技術でしょう。お掃除ロボが市販された時もかなり衝撃的でしたが、これはもう本当に、ここまできたかという感じでした。
もし少子高齢化で、元気に働ける年代が減っていくのだとしたら、このような手助けはありがたいですね。いつか家の中にも当たり前に、ロボットが参入してくる時代がくるのかしら。それとも、ボタンひとつでできあがった料理が出てくるとか。それこそ漫画みたいだなあと思いながらも、そのような未来はそう遠くないのかもしれないと思っています。
アンソロジーは味見に似ている
この間ネット通販で頼んだアンソロジーが、やっと届きました。数人の作家の短編がまとめられているこれは、私がずっと待ち望んでいたものです。この短編が面白かったら、個々の作家さんの長編にも手を出してみようと思っています。
こういうことをするようになったのは、以前、新しく知った作家さんの本を読んだときに、どうしてもそれを好きになれなかったからです。あらすじには私が興味を持っているキーワードが散りばめられているのに、頑張って読み進んでも文体に慣れることができないという経験は、あの時が初めてでした。以来、気になる方が参加しているアンソロジーがある時はできるだけそれを読んで、その人の書き方を確認するようにしています。もちろん、書店での立ち読みでも、対応は可能です。
すべての本を面白いと言えればいいのですが、残念ながら、そういう時ばかりではありませんからね。たとえば学校の宿題に必要だとか、会社で支持されたとか、よほどそれを読まなければいけない理由がない限り、自分が心から楽しめる好きな作品を選ぶことも大切でしょう。読書が苦手な人にこそ、試してほしいですね。そうすればきっといつかは、本を読むのが好きになるような作品に出会えるはずですから。
得意を生かして魅力アピール
新しくできた書店に行ってみたら、大きな文具売り場と一体化した造りになっていました。ふと隣を見ると可愛らしい文具がいっぱいあって、目の保養になりましたね。この前新設のところはカフェがついていましたし、一階が個展などを開けるギャラリーで、二階が書籍売り場になっているところもあります。本を売るだけでは経営が難しいのでしょうか。それとも、読書離れをしている人達を、別のもので引き寄せようとしているのかしら。どちらにせよ、新規オープンはありがたいことです。
そういえば、近所にはありませんが、専門性の高いお店も存在するようですね。猫に特化していたり、電子機器に関するものが置かれていたり、歴史に関するものが中心だったり……こういうものは、それが好きという人にはたまらないものでしょうね。そういうところはたいてい小さい店のようですが、実際、全国から人が集まるのだとか。
結局のところ、何事でも、自分のウリを前面に押し出していくのが大切なのかな、と思いまます。就職活動で「あなたの長所はなんですか」と聞かれた時に、困ってしまうようではいけないということでしょう。しかしそう考えると、私のいいところ、得意分野はなにかしら。考えてしまいますね。
読書と日常、出所の違う知識
先日初心者用のレシピ本を貸した友人から、驚きを示すメールが送られてきました。「ねえ、これ初めて知ったんだけど、ハンバーグのお肉って、あいびきをつかうんだね。うち、豚だったよ」家庭の味はそれぞれですから、家人の好みによっては、そのようなこともあるでしょう。友達はどうやら、外食の時はお店があえて、特別なお肉を使っていると思っていたそうです。
日常になっていることのなかにも、このような新しい発見はあるのだなあと実感した出来事でした。ちなみに私が最近知ったのは、毛玉をとりすぎると、布地が薄くなってしまうということでしょうか。今まで特に意識したことはなかったので、考えてみればそうだよなあ、と納得したのを覚えています。
私はこれまで、本をたくさん読んできて、他の人よりは物事を知っているような気になっていました。でもそれは教科書で学ぶようなものや、自分が興味を持っていることについてだけだったのですよね。経験から得られることの中にも、そして当然、書籍の中に書いてあるものについても、まだまだたくさんの未知なる情報があります。けして自信過剰にならず、読書と日常生活を併用して、これからもいろいろなことを学んでいけたらいいと思います。
早朝気付いた届け物
この前、朝起きて新聞を取りに玄関に行ったら、ポストの中に、以前ネット注文した本が届いていました。こんな早朝から荷物が来るわけがありませんから、確実に昨日の夜にはここにあったのでしょう。私はどうして気付かなかったのかしら、これがあると思えば、昨夜は楽しい読書タイムだったのに……と当然後悔しましたが、いくら悔やんだとお露で、時を戻すことはできません。結局その日は、その本を読むことを楽しみに、多忙な時間を乗り切りました。
ただ、このような楽しみがあるのはいいことですね。ご褒美が待っていると思えば、嫌でも大変でも、頑張ろうという気持ちになります。そして実際の読書タイムが来た時には、ただ荷物を開けた時以上に、喜びと期待が膨れ上がっているのです。私の場合は、これを幸せと呼ばずして、なにを幸福と呼ぶのか、と思うくらいでした。
ですがやっぱり、読みたい本はすぐに手に取るのが一番なので、今度荷物を待っている時は、就寝前にも一度、ポストのチェックをするようにしようと決めました。ちょっと玄関を見に行くだけですからね、大した労力ではありませんし、そのまま寝なければいけない時刻だったとしても、大事な物は部屋に置いておきたいですもの。
夢でも本でも主人公
先日、真っ青な空の中を、腕を羽ばたくようにして飛ぶ夢を見ました。目覚めている今から思えば、実際にはそんなことができるわけもありませんし、万が一にできたところで、きっと、高いところに怯えてしまうでしょう。しかしその夢では、風は気持ち良く景色は美しく、最高の感動を味わっていました。
この感覚は、主人公に感情移入をして読書をした時の気持ちに似ていると思います。日常の私は、絶世の美女でも誰もが尊敬する勇者でも、愛らしいプリンセスでもありませんが、本の中でなら、セーラー服を着た女子高生にも、偉大な魔法使いにもなれるのです。しかもそれについて、似合わないとか年甲斐もないなんて、文句を言う人はいないのですよ。まさに自分が主役なのです。なんて素敵なことでしょう。
もちろん、本を読み終えれば現実が待っていて、暑くても寒くても起きなければいけないし、すべきことをしなければなりません。でもあの時間があるから、妄想してストレス解消ができるし「また明日も頑張ろう」という前向きな気持ちになれたりするのですよね。ただ、本は好きなものを選べますが、夢はコントロールできないのが惜しいところ……でもそれもびっくり箱のようで、面白いと思っています。
お古のおかげで本が二倍
この間近所のスーパーに行った時に、姉妹と思われる少女が、お揃いのワンピースを着ていました。それで思いだしたのは、自分の子供時代のことです。末っ子の友人は「自分はいつもお古を使っている」とぼやいていました。
子供はすぐに大きくなってしまいますから、親としては、個々に買うのは勿体ないと思うのでしょうね。今ならばその気持ちはわかります。でも本人としては「いつも新しいものを買ってもらうのは、お姉ちゃんばかり」という不満があったのでしょう。ただ私は、それを羨ましいと思っていました。だってたとえば、読書感想文を書く時のことを考えてみてください。あれは課題図書が決まっていたので、お古ではなく、彼女は新しい本を買ってもらえたんです。そうすると、姉の分と自分の分で、二冊の新刊が読めるんですよ。私は毎年厳選して一冊選んでいたのに、です。
隣の芝は青いと言いますが、結局はどっちもどっちなのですよね。親も限りある収入の中で苦労して子育てをしてくれていたはずなので、何も言えませんが、私が今たくさん本を買ってしまうのは、当時の反動もあるかもしれない、と思っています。ただ単に、面白そうな作品があるから、というのも考えられますけどね。
心休まる古書店
先日久しぶりに、少し遠くにある古書店に行きました。ここに来るといつも入口で、深呼吸をしてしまいます。古い物にある独特な香り……友達は埃といい、知人はカビといいますが、あの湿ったなんともいえない匂いが好きだからです。時々吸い込みすぎて咳込んでしまうのは、ご愛敬だと思ってもらいましょう。ごめんなさいね、お客様。
特に目立つようなポップや注意書きはありませんが、数周もすればカテゴリわけがわかってきます。お気に入りの棚の前を、天井から足元までじいっと見つめ、何冊かを選んで、レジに向かいました。若い女性の店員が、年配の男性にレジを教わりながら勘定をしてくれて「ああ、新しいバイトの子だな」などと、穏やかな気持ちが胸に生まれます。なぜでしょうね。ここは、時間がとてもゆっくり流れている気がするのです。
小さな滑り台とブランコがあるだけの公園や、看板が傾いている古いカフェ、イチョウの綺麗な並木道に、ワインの美味しい地下のレストラン。中には一度訪れただけの場所もありますが、どこも心が落ち着くような素敵な空間で、この書店のように、安らかな気持ちになれます。こんな場所を知っている私って幸せだなあと、時々思うのですよ。
頑張らない読書
友人が「本って表紙を開くのが、ハードルが高いことあるよね」と言いました。確かにそうなのですよね。疲れている時は、そのたったひとつの行動が、とても手間に感じられるのです。しかしだからといって、電子書籍を読むために、パソコンのキーボードを叩くのも面倒と感じられるのですから、もうどうしようもありません。
私は、そういう気持ちの時は、自分は本を読みたくないのだろうと、きっぱり割り切ることにしています。たとえ図書館で借りてきたものの返却期限が迫っていたとしても、読了を諦めるのです。だって、無理をして読んだって内容は頭に入ってきませんし、苦痛なだけですもの。気がのらなくても頑張らなくてはいけない読書は、勉強に関するものだけだでしょう。
学生時代、嫌いな科目の教科書を読むのは、本当に嫌でした。テスト前だから集中しなくてはと思うけれど、やりたくないという思いが先に立ち、時間だけが経過していくのです。改善したのは、時間を区切ることを覚えた時でしたね。一時間だけ頑張ろう、そう思えば、案外乗り切れるものです。ただその策を得てなお、大人になって、そのような苦労なく好きな本が選べるようになった時は、嬉しかったですね。自由は幸福に通じるものだと実感しました。