有名な映画やドラマ、アニメなど、時々、公式ガイドと呼ばれる本が出版されることがありますよね。大抵は書店の目立つ場所に平積みになっていることが多く、該当作を知らなくても、つい目を惹かれます。ただ私の場合、そのまま購入してしまうことすらあるんです。たとえば表紙に出ている登場人物が格好良かったから、あるいはふと手に取ってあらすじを読んだら、面白そうだったから、等々。つまりその本が、私の興味を原作へと惹きつけたということですね。
その後は当然、元となった作品を見ますよ。夢中になるかならないかは、その時次第。なにせ先に公式ガイドを見てしまっているので、ちょっとしたネタはわかってしまっていますから、ちょっとした確認作業にも近い思いです。でも画面に映っている方はやっぱり素敵で、ストーリーは魅力的。後々も追いかけるほどになるかはわからずとも、その時は精一杯楽しんでいます。
公式ガイドなんて、本当にマニアなファンが買うんだろうと思っていた頃もありましたが、このような経験を経て、今ではすっかり考えが変わりました。人気作の『面白い』がたくさん詰まった最良テキスト、もし良さそうなものがあったら、またなにか買ってみようかしら。
石がジュエリーになるまで
友人の家で、宝石の写真集を見ました。彼女はあのきらきらとした美しい石が大好きなのです。ただ、身につけることにはあまり興味がないのだとか。アクセサリーとして使うことしか考えてこなかった私は、彼女の言い分に驚きました。しかし人の好みはそれぞれですから、これも楽しみ方のひとつなのでしょう。それに、私はこの写真集で知ったのですが、美しいカットをされてジュエリーとして加工されたものではなく、現先の中のひと筋の輝きも、とても魅力的なのです。
これが土の中から出てくるとすれば、まさに宝探しと言うにふさわしいでしょう。ですが、見つけるのは大変でしょうね……だって、一日中暗いところで土を掘り、それを細かく仕分けして、やっとのことで、ジュエリーに加工できるものがある、といった具合ですもの。しかも、石はここから研磨しないといけません。一ミリの狂いも許されない、細かな作業を続け、台座に取りつけたりして、やっとお店に並ぶのです。
これらはすべて、本に書かれていました。自分が知らなかった業界のことを知り、宝石の付加価値に気付かされた思いでしたね。またそれは同時に、目の前にあるものから、見知らぬ世界を見せてくれるのが書籍だということを、実感したひとときでもありました。
執筆ロボットが生まれたら
この前ラジオドラマを聞いていた時に、ふと思いだしたことがあります。今のように録音したものを流していなかった時代、ドラマの途中の効果音はすべて、その場で作られていたそうなのです。波の音ならば、ざるに小豆を入れて、ざあ、と聞こえるように振っていたのだとか、音を作る専門の人がいた、とか。なにせ昔のことで記憶も曖昧だけれども、まさに職人技と言える技術に、驚いたことだけは覚えています。
ただ、本当の波の音を録音してきて、使える今は、必要のないポジションなのですよね。マンパワーが、機械にとって変わられていく……便利ですが、ちょっとさみしくもあります。しかしこれが時代の変化でもあるのでしょう。もしかしたらいつかは、執筆ロボットなんて物が生まれるかもしれません。
ストーリーから考えられるのであれば、きっとプロット通り、スケジュール通りに作品を仕上げられるロボットは、人間より有能そうですね。でもこれじゃ、工場での大量生産と変わらないかしら。決まったフレーズを上手く並べて文章を作る機械。どうでしょう、やっぱりちょっと、ピンとこないかな。人間が想像できる物は、いつかは世に出るといいますが、これはまだ、二次元の中の話だけで十分です。
本は何でも教えてくれる
毎日うまくいっていると思っても、突然トラブルが訪れることってありますよね。そんな時、友達や家族など、信頼できる人に相談するというのもひとつの方法です。しかし私はたいてい、本のページをめくります。もちろん、今悩んでいる問題に対して、直接の答えが書かれているものは少ないですよ……というか、ほとんどありません。ですが本の中には、あらゆる世代の人がいて、様々な世界があります。絶対に、求める答えがどこかにあるはずなのです。
たとえば小説を読んでいる時に、漫画を楽しんでいる時に、それははっと見つかります。主人公が言ったたった一言の言葉や、ちょっとした行動の中に隠れていることもあるでしょう。作者の表現の一部であったりもします。それらは私の記憶に留まり、遠い未来に悩んだ時に、心の支えとなってくれるのです。そこまではいかなくても、気分転換として、純粋にストーリーを楽しむのもいいでしょう。
本は私の秘密をばらしたり、悩みについて、聞きたくもない意見を与えることはありません。どんな時も変わらずに、傍にいてくれるのです。なんてありがたい、私の友達。一生をかけて、添い遂げるに値する価値のある大切なパートナーと言っても、過言ではないでしょう。
絵本のクイズは難しい
この間、親戚の子供が遊びにやってきました。その際に持っていたのが、動物の絵本です。かわいらしいなあ、と微笑ましい気持ちで眺めていたのですが、それは、曲者でした。なんと、ページに動物の足の裏の絵があって「これは何の足?」というようなクイズになっているのです。そんなのじっくり見たことないよ!というようなものまでいるんですよ。
当然、子供に聞かれてもわかりません。でも当人はもうとっくに知っているわけです。あの時の得意げな顔は、思いだすと笑ってしまうほど愛おしいのだけれど、その場ではとても悔しかったです。他二は、国旗がずらっと載っているのも、難関でした。地理は苦手なんです。
あとは、果物の切り口が描いてあったり、工場見学風だったりと、絵本も本当に進化していますよね。私が小さい頃にも、こんなものがあったのかしら?と疑問に思ってしまうほどです。でもやっぱり、私が一番目を引くのは、飛び出すものとか、シールが貼れるタイプかしら。ああいう遊べる本は、他になかなかありませんからね。つい夢中になって、一緒に眺めてしまいます。その他、塗り絵も楽しいかなあ。これは、いつかやってみたいと思って、実は一冊、机の引き出しにしまっています。
図書カード、使う時はいつでしょう
友達が、家族に図書カードを貰ったそうです。抽選で当たった物が流れてきたとのことですが、面白いのですよ。「このカードがあれば、現金がなくても本が買えると思うと、勿体なくて使えない」なんて言うのです。私だったらきっとすぐに、書店にとんでいきます。だって大事にとっておいても、腐るものでも使用期限があるものでもないので、いいと言えばいいですが、やっぱりいつかは使うものですし……。と、なぜか話を聞いた私のほうが、悶々としてしまいました。ちなみにこれは、数か月も前のことです。
そしてつい先日、同じ友達に会ったところ「やっぱりまだ使えない」ですって。お小遣いが足りないけれど、どうしても欲しい本がある時に使いたい、などと思っているのかもしれません。その気持ちなら、わからなくもないです。だってそれで諦めたことは、何回もありますもの。
こんな話を聞いていると、この友達が、とてもかわいく思えてきます。まったく、働いてる社会人なのにと思ってみたり、それほど大事にしてるのね、なんて感じてみたり。お年玉を貰って、すぐにおもちゃ屋に向かって行った遠い昔の自分とは、比較にならない愛おしさです。その頃に買ったぬいぐるみは、今でも我が家で元気にしています。
メモに書かれたリストの記憶
お財布の中身を整理していたら、小さなメモを見つけました。開いてみれば、本の題名がずらりと並んでいます。どうやら、欲しい本のリストのようです。今はたいていのものはネット通販で購入するので、こんな一覧にまとめることはありません。興味の内容からしても、どうやらしばらく前のもののようでした。
そういえば、こういうのを集めていた時期があったなあと懐かしく眺めながら、書棚に並んでいる作品を思い浮かべます。当時集めた物は今も何冊か残っていますが、全部が奥にあって、ここ最近は、手にとった記憶すらありません。おそらくは、読み返すことも近いうちにはないでしょう。でも昔は、こうしてリストにするくらい熱心に探していたんですよね。時間の経過、自分の成長を見ているようで、なんとも不思議な気持ちになりました。
今度ゆっくり過ごせる時間ができた時に、書棚から引っ張り出して、ページをめくってみようかしら。原点回帰じゃないけれど、古い記憶の中に新しいことが見つかりそうな予感がしています。もちろんただの直感なので、当たるかはわかりませんけれど、ちょっとした労力を費やせばいいだけなので、そういうつもりで古い作品を見てみるのも面白そうです。
自分の素の在り処
友達の子供が、毎日同じDVDを見ているそうです。彼はまだ幼稚園児。きっとアニメだろうなあと微笑ましく思っていたら、友達宅に遊びに行った時「これだよ」と見せてくれました。なんと親世代が懐かしむようなアーティストの、ライブDVDです。なぜこれが、と思いきや「きらきらするのがかっこいいから」ですって。舞台効果のことですね。この子は将来、その業界で活躍するのかもしれないと、親と一緒に笑いました。
こういう子供時代の記憶は、大きくなってから残らない場合もあると思います。でも、好きという気持ちはきっとずっと、胸にあるはず。だからでしょうね。大人になって「やりたいことがわからない」という若者は、小さな時に夢中になったものを突き詰めていくと、やりたいことが見つかる場合が多いのですって。たとえば、プラモデルが得意だった子は、手先を使う仕事を選んだり、計算が早かった子は、数字を扱う業務に就いたり、ということです。
かく言う私は、仕事ではないけれど、本を読む趣味だけは、ずっと続いています。住む場所が変わって、慣れない土地で苦労をした時期も、転職して多忙を極めた時も、体調を崩した夜ですら、読書だけはやめられなかったのです。
漫画家さんの音楽事情
先日、知りあいの漫画家さんが、お気に入りの音楽について話していました。彼女は、プロットを立てる時はこの曲!というのが大体決まっているらしいです。ペン入れの時は作業という要素が強いので、テレビを見ながらでもできると言っていましたね。でもそれまでは、画面が動く物は駄目なのだとか。意識が持っていかれてしまうということかしら。
そういえば私が学生時代、深夜に勉強をする時は、たいていラジオを聞いていました。ただ本当に好きなアーティストのものではなく、聞き流せるものが良かったですね。しんと静まり返った部屋の中だと、なぜか集中できないので、音があるという状況を作り出していたとも言えます。でもお気に入りの方だと聞き入ってしまいますから、駄目なのですね。
ただ漫画家さんの話はよく聞きますが、小説家の方の音楽事情は、耳にしたことがありません。やっぱり常に文章を考えている身としては、音があると邪魔なのかしら。どこかでチャンスがあれば、ぜひご意見が欲しいところですが、残念ながら、簡単に質問できる知りあいはいないのですよね。まあ、話してもらえたからといって、私の好奇心が満足するだけではありますけれども……かなり興味はあります。
厄日には冒険譚を
先日、自宅読書のお供にと、冷蔵庫の奥からチョコレートを取り出そうとした時のことです。横着をせずに、手前に入っていたお皿をどけてから手を伸ばせばよかったのですが、それを面倒がってしまったので、案の定。前のお皿を落として、割ってしまいました。もちろん中に入っていた食べ物は、床の上に飛び散っています。ああ、やってしまったと落胆とともに片付けながら、私は子供の頃に見たアニメを思いだしていました。
動物が出てくるものなのですが、悪戯の子がいつもこうして、食べ物をこぼすのです。片付けのシーンはないのが常でしたが、あれをきれいにしていたのは誰なのでしょう。登場人物の家族かしら。毎回毎回、さぞ大変だったでしょうね。私だったら、わざとあんな風に部屋を散らかす子は、絶対許しておきません。
自分で自分に説教しつつ、部屋を片付け、チョコレートは諦めました。なぜか食べたいという気持ちが失せてしまったのです。そのかわりにお茶を入れて、椅子に座ってほっと一息。甘い恋愛小説を読むつもりだったけれど、このもやっとした気持ちが消えるように、冒険活劇に変えました。剣を振るう主人公に、敵も嫌な思いも全部、切り捨ててもらおうと思ったのです。