ブームの過ぎたヘッドフォン

ヘッドフォンには、マイブームがあります。可愛いデザインのものをゲットして、毎日家でも通勤・通学の道でも使って、電車の中や待ち時間を楽しくしてくれるヘッドフォン。可愛いデザインのもの、人気のカラー、音質にこだわったものなど、コレクション感覚でたくさん集める人もいるようですね。私の場合、そこまでこだわったりはしないのですが、それでもたまにぐっとくるデザインのものに出会って、お気に入りになったりすると、ずっとそれを使ってしまいます。以前夢中になっていたけれど、最近新しいものを買ったので、しばらく使わないでおいたヘッドフォンがありました。決して壊れたわけではないんですけど、新しいものを熱心に使っていたので、ついつい放置ぎみになっていたんですよね。久しぶりに触ったら、白かったボディの一部が、黄色く変色してしまっていました。劣化なんでしょうか、日に当たるようなところには置いていなかったから、日焼けということはないと思うんですが、ショックでした。子どものころ、日向の部屋に置いておいたマンガ本の背表紙が、すべて薄い色に日焼けしてしまったショックを思いだし、保存状態をもっと徹底しなくてはいけないと身に沁みました。

ゾンビと香水

最近読んだ小説の中で、生きているフリをしているゾンビが、体臭を誤魔化すためにいつもたくさんの香水をつけている…という設定がありました。身体があがってくる腐ったにおいなんかを誤魔化すためですね。実際、登場人物のほとんどは、それに騙されていて、彼女がゾンビだということに気づかないでいたのです。その後の物語の展開では、簡単にばれていってしまうのですが…現実的なことを考えるのは無粋かもしれませんが、身体のにおいを完全に隠せてしまうくらいの香水の量って、相当だと思ったんです…。香水のにおいが苦手な人って、物語の中でも、現実世界でも、結構いますよね。特定のにおいがだめとか。ほのかだったらいいけど、たくさんかけられるのは…という人も多いです。ぷんぷんにおって、周囲の人の気分が悪くなってしまうような量を付けている人って、やはりたまにいます。満員電車の中で、どう考えてもつけすぎな香水のにおいをかいでしまうと、そこまで苦手でもない私ですが、いくらか嫌な気持ちになったりもしますし、そういう人に対して、大抵の人が「程度がある」「マナーがなっていない」という気持ちを抱いたりしているようです。この小説の人は、そういう感想からは無縁の人だったのでしょうか…?

美容師さんとの会話

美容院に行くと、色々話しかけてくれる美容師さんが多いですよね。よほど「話しかけないでくださいオーラ」を出しているお客さんか、よほど「話したくないですオーラ」を出している美容師さんでもない限り、ある程度会話があるものだと思います。人と人って、会話が盛り上がるかどうかはなかなか難しいものだと思いませんか。少なくとも、美容師さんの方は、「話しかけないでオーラ」を出しているお客さんには、声をかけていかなくちゃいけないと思っているというか、そういうものだという形になっている気がします。私はたまに読みかけの本を持参しているので、その続きが気になって仕方ないときは、自分の読書に入り込むタイミングがわからなくなってしまうので、放っておいてほしいときがあるんですよね。美容室に元々置いてある雑誌なんかもそうですが、気になっているものや読みたいものがあるときは、少し迷惑に感じてしまうこともあります。美容師さんは仕事をしているわけですから、私が読んでいるものをのぞき込んでいることはないんですけれど、なんてなく変な気持ちになってしまったり。例外があるとすれば、以前読んでいる本を訪ねられて、しぶしぶ答えたところ、その美容師さんもその作品の大ファンで、本の趣味がとてもよく似ていて、大盛り上がりしたことがあるときでしょうか。あれは楽しかったなーと思います。

修学旅行そっちのけ

中学生のころ、友達ととても夢中になっていたマンガがありました。それが小説化されることが決定して、喜んで奇声のようなものを挙げながら手を叩いた記憶があります。なにも知らない人からみれば、ちょっとした狂気の沙汰でしたが、そのくらい嬉しかったんですよね。自分の好きなものが、様々な媒体に展開されていくのは、怖い反面、期待がたくさんあります。もちろん、失敗してしまう可能性だってあるんですよね。現にそれまでだって、好きなマンガが小説化してつまらなかったり、逆に大好きな小説のコミカライズが全然好きになれず、「こんなはずじゃなかったのに」「こんなのあの原作じゃない」と文句を言ったこともたくさんありました。それでも、嬉しいものではあるんです。心配も不安も、嬉しいからこその期待の裏にあるものなんですよね。実際、「絶対そのメディアミックスは合わない」と思っていても、そこはプロの技ですから、「まさかこんなに成功するとは」と化けてくれることだってありましたから。結局、その小説化が楽しみ過ぎて、修学旅行先でお土産も早々に、デパートの中の本屋さんに行って、発売日に購入し、帰りの新幹線の中で読んでいた記憶もあるのでした。

多様なメディアミックス

小説やマンガには、ドラマ化やアニメ化、映画化など、映像化の可能性がありますよね。メディアミックスって、媒体をかえてその物語がどんな風に映えていくのかが楽しみなので、基本的になんでも手を出してしまいます。映画やアニメを、逆にコミカライズ、ノベライズにするのも楽しいです。もちろん、ストーリーや設定、世界観によって、合うのと合わないのはあるんですけどね。役者さんや声優さんがイメージと違う…って、最近ではインターネット上で論争になったりもしています。私自身、「これはちょっと思っていたのと違うな…」ということはあるんですが、それはそれだと思って、新生バージョンを楽しむ気持ちでいるのがいいなと思っています。癪なことも結構多くなってしまうのは、原作を知らない人に、新しい解釈が本家だと思われてしまうのが嫌だということくらいなんです。ラジオドラマやドラマCDなども好きです。音だけで物語を伝えるのって、映像のような手間がかからないと思われがちでも、実はかなり工夫が必要ですよね。説明口調ばかりになってしまってもいけないし、BGMと効果音のバランスも難しいし…演技の幅も、声だけということでなかなか大変だと思います。大好きなメディアミックスのひとつです。

原作者、ゲスト役者

「妖怪大戦争」という映画の中で、企画者としてストーリーにかなり助力をした宮部みゆきさんが、学校の先生として出演しているんですよね。初めてそのことを聞いたとき、「あの人が宮部さんなんだ!」とびっくりしたような、感動したような不思議な気持ちになりました。自分が作り出していく物語にゲスト出演するのって、一体どんな感覚なんでしょう。宮部さんの場合は、完全自分の原作というわけではありませんでしたが、小説家であれマンガ家であれ、その人物が役者として登場している作品って多いですよね。アニメでも、ゲスト声優として参加しているのが原作者~なんて、よく聞くと思います。もちろん、プロの役者さんではないのですが、「えっ、この人作者さんなの?」とびっくりするくらい上手な人もいて、天が二物も与えたのだな~と感心してしまうことも多いです。いつも自分がつくっている世界の中に、ほんの少し足を踏み入れたような感覚になるのでしょうか。それとも、製作の現場に入って、現実感を味わっているのでしょうか。どちらにしても、観ている方としては、かなり不思議な気持ちと同時に、やっぱりどこかで関わっているんだという嬉しい気持ちもまざっていたりします。

行きたくなる優しい本屋さん

本屋さんに行ってふと気が付くことは、当然のようなことですが、子ども用の本のコーナーって、台が低くなっているんですよね。台に届かないくらい小さな子は、大人がお金を払うのは当然なんですが、それでも、小さな子が本を手に取りやすくなっているんです。結構素敵なことだなって思います。バリアフリーと言ってしまうと大げさかもしれませんが、子どもを連れた大人が本屋さんでゆっくり本を選びたいとき、一人でコーナーを観て回れるくらいには大きくなった子が、自分の背丈は届かない…というのは、結構つらいですもんね。子どもが落ちてしまわないように、高いところに登る台も安全装置がついているものもあったりして、小さなところに気遣いがみえると、なんだか嬉しくなります。好きな本屋さんって、こういう風に出来ていくんじゃないかと思います。もちろん、品揃えや入荷日の速さなんかも関係してくるんですが、店員さんが考えている心遣いが見えるところって、ついつい足を運びたくなってしまうんですよね。チェーンの本屋さんだとしても、店舗によって立地が違うように、客層が違って、アプローチ方法が違って、店内の広さに合わせてディスプレイや入荷数が違っていて…というのを垣間見るのは、なんだか楽しいです。

本の貸し借り

会社で、向かいの席に座っている先輩がお昼休みにいつも本を読んでいました。熱中しているその姿に、どんな本を読んでいるのか気になっていたのですが、思いきって「何の本ですか?」と話しかけてみると、嬉しそうにタイトルを教えてくれました。そのとき読んでいたのが、銀色夏生さんの『つれづれノート』。銀色さんの日常を日記とイラストでまとめたものです。銀色さんの詩集は何冊か持っていたものの、日記は読んだことがなかった私に、その先輩は、「じゃあ、終わったら貸してあげるね!」と言ってくれました。そんなふうにして、社内での本の貸し借りが始まりました。『つれづれノート』を借りたお返しに、私は、よしもとばななさんの日記をおすすめ。日記好きな人なら、きっと面白いと思ってくれるはず、と選んだ本です。案の定、先輩は面白がってくれて、昼休みには二人で本の話をするようになりました。
毎日、会社で顔を合わせるので、本の貸し借りはとても便利。終わったらすぐ次の本を貸してもらえるし、自分も貸せる。感想も、読んだその場で言い合える。同じような本が好き、という共通点でぐっと距離が縮まり、仕事のことでもいろいろ相談にのってもらえるようになりました。

日本文学を読む

大学時代に受けていた近現代文学の授業で、毎週、指定された本の論点を書いて提出するというものがありました。指定される本は、夏目漱石、森鴎外、などの近現代の作家のもの。最初は、本が読める授業なんて面白そうと軽い気持ちで受け始めたのですが、これがもう、ものすごく大変な授業なのでした。1週間で1冊本を読んで、レポート。その1冊というのも、普段読み慣れていない堅い言葉の小説。読むだけでも悪戦苦闘・・。この時代の人たちって、どうしてこんなに苦悩を抱えているんだ??と疑問に思うことしきり。さらに論点を書くというのも、なかなか難しいもの。最初のレポートで感想を書いて提出したら、先生からしっかり赤ペンで「感想は書かない!」と直されました。
課題をこなしていくうちに、本の読み方が少し変わっていったのを覚えています。読んでいる段階から、問題意識を持ちながら、「なんでこの主人公はこんな行動をしたのだろう」とか、「このセリフは裏にこんな意味があるんじゃないか」ということを考えるようになったのです。レポートを提出した次の週には、みんながどんなところに物語の論点をとらえていたのか、話し合います。この繰り返しで、1年間、かなり鍛えられたような気がします。文学を読む面白さを知ったのもこの授業でした。

母の本棚

実家に帰ると、必ず母の本棚を見に行きます。茶色の大きな本棚に、私の本が3分の1、妹の本が3分の1、そして母の本が残りの3分の1。読み終わるとすぐに古本屋に売ってしまう母の本は、あまり多くはありません。置いてあるのは、林真理子、向田邦子、小川洋子、などなど女性作家の本が多く、その他に圧倒的な量の猫の本。「猫びより」などの雑誌のバックナンバーから、猫の写真集、それからありとあらゆる猫とタイトルに入っている小説。かなりの猫好きです。
猫タイトルの本はいろいろあります。町田康さんの『猫にかまけて』、群ようこさんの『トラちゃん』、などの猫エッセイは王道で、若竹七海さんの『猫島ハウスの騒動』、柴田よしきさんの『猫探偵正太郎の冒険』などの猫ミステリー。タイトルには入っていませんが、ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』などのSF小説。この本は、内容というよりもおそらく表紙に猫の後ろ姿のイラストが入っているから買ったのでしょう。
母の本棚を見ると、ずらっと並ぶ「猫」の文字に、ときどき目がチカチカするのですが、毎回新しい本が入っていて、それを探すのが面白いのです。猫の本って、こんなにたくさん出ているんだ、と嬉しい驚きがあります。