心が落ち着く音

家の近くの駅には、風鈴が飾られています。それも一つではなく、たくさんの風鈴です。風鈴といえば夏の風物詩で、その音は何とも涼しげで風鈴の音が鳴ると、涼しい風が吹いているような気分になりますね。たくさんの風鈴の音は、とても涼やかで、本当にここ著が良いものです。
涼しげな音というと、小川のせせらぎなども涼しげですね。聞いていると心が落ち着きます。小川のせせらぎや小鳥のさえずりなどは、ヒーリング効果の高いBGMとしても活用されていますね。確かに、小川のせせらぎも、小鳥の鳴く声も、心がしっとりとしてきます。疲れている時などには聞いていたい音ですね。
雨の音なども好きだなあ、と気づいたのは最近です。雨は外出する時には、傘を持たなくてはならないし、靴は濡れるし、いやな天気だと思うのですが、家で雨の音を聞いていると、気持ちがやすらぐのです。大人になる前、高校生の頃から、学校が休みの日、雨だと自分の部屋の窓から落ちてくる雨と、屋根やトタンに落ちる雨の音を聞くのは好きでした。草やアスファルトに落ちる雨の音、土や花、葉、車の屋根、瓦屋根、誰かがさしている傘、誰かが着ている雨合羽などに落ちる雨の音はどれも違う音で、それを聞いていると、さびしいような、でも、心が落ち着くような気分になったものです。先日、それを思い出し、その頃のように、部屋の窓から雨の降る様子を眺め、雨の音に聞き入っていたら、いつの間にか眠ってしまいました。それだけリラックスしたということですよね。

色気のある女性を夢見て

色っぽい女性とはどのような女性か?というのはここ数年の自分の中でのテーマでした。小説の中にも色気のある女性が登場します。ほくろが色っぽいとか、しぐさが色っぽいなどと描かれていることがあり、それをマネすれば色っぽくなるかもしれない、と思うものの、なかなか思うようにはいきません。
残念なことに、私は胸も大きくないし、ウエストもそれほどくびれていません。体で色気を発するのはムリです。それはあきらめました。それなら、しぐさで色気を、と思うのですがどうしたらいいのか分かりません。髪をかきあげてみる、唇を半開きにしてみる、眠そうな目をしてみる、などというしぐさをしてみるといいのかも、と思うのですが、それをやっても、あまり色っぽくは見えないようです。
今さら、短いスカートをはいたり、体にフィットした服を着ても、わざとらしく見えるのでそれは嫌です。ここまで色気にこだわるのは、今まで一度も“色っぽい”と言われたことがなく、一度でいいから色っぽいと言われてみたいのです。でも、きっと色っぽく見られたい、と思っているうちは色気は出ないのでしょう。せめて、ガサツにならないように、女性らしいしぐさを心がけるようにしたいと思います。いつかきっと色っぽい女性に慣れる日がくることを夢見て。

私の愛する天然湯たんぽ

猫は体温が高いです。平熱が38~39度と言われています。猫を抱いていると、冬はとても温かいです。特に冷え症の私は、冬は特に足先が冷たくなります。そんな時に猫が足元に入ってくれれば、この上ない幸せです。ふかふかしていて、とても温かい。たまにかぷっとかまれたり、爪で引っかかれたりしますが、猫は天然(?)湯たんぽです。低温やけどの心配もありません。
1匹の猫は私の腕枕で寝ます。頭からお布団の中に入り、くるっと向きを変えて私の腕に頭を乗せて寝るのです。とても温かいのですが、身動きができず、トイレに行きたくなっても起こしてはかわいそう、と思うとなかなか起き上がることもできません。猫の鼻息がフーフーいっているのも気になりますが、それでも温かいので許してしまいます。
猫が数匹いれば、冷え症も改善されていくでしょうか?でも、猫はきまぐれなので、そうそう自分の思い通りの時間に、思い通りの場所で寝てくれません。そこが天然湯たんぽの取り扱いの難しいところです。また、時としてお腹の上や胸の上に乗って寝ようとする猫もいて、その重さで起きたり、苦しい思いをして目が覚めることもあります。動く天然湯たんぽ。なかなか落ち着いて寝ていらないことも多いものです。それでも温かいので、許しましょう。

むやみに攻撃してはいけないハチ

小学生の頃、ハチに刺されたことがあります。家の中で何かの箱の中に手を入れたら、ひどく熱いものに触れたような感覚があり、ハチが飛び出してきました。最初は何だか分からなかったのですが、ひどい痛みでハチに刺されたのだと分かりました。そのショックのせいか、痛みのせいか、その後どうしたのかはよく覚えていませんが、家族がいたと思うので、何かしらの対処をしてくれたのでしょう。その経験のせいか、ハチを見ると恐怖を覚えます。ハチに刺されると、本当に痛いです。私は痛かった、というだけですんだのですが、毒性が強いと呼吸困難や蕁麻疹なども引き起こすことがあるのですよね。怖いことです。
私が刺されたのは、不用意に箱の中に手を入れたせいで、ハチが攻撃をされたと思ったのでしょう。でも、その箱は私のものだったし、ハチが勝手に入っていただけのこと。その時は私に罪はないと思います。とはいっても、攻撃しなければ自分が大変な目にあうかもしれないのですから、刺すことは仕方ないですね。ハチも攻撃されなければ、刺されることはないようです。むやみに追い払ったりしないようにすることが大事ですね。刺されないためにも、ハチの巣には近寄らずに、そっとしておいてあげなければいけませんね。

日本語に感激してくれたアメリカ人

16歳の頃、アメリカにホームステイに行っていました。期間としては40日間という短い間でしたが、いろいろな経験をしました。まず最初に困ったのは英語です。英会話など習っていなかったので、最初は何をしゃべっているのかさっぱり分かりませんでした。それもみんな早口なので、ついていくのに精いっぱいの日々でした。でも、若いせいかすぐに話の内容は何となく分かるようになり、不安も徐々に消えていきました。さすがに電話は難しかったですけど。
最初のステイ先には私と同年代の女の子が一人。その友達が数人やってきて、よく遊んでいました。ある日、友達の一人が日本語が聞きたいと言い出したのです。私は持参していた文庫本を出して、読み始めました。3~4人の友達が聞いていたのですが、みんな真剣な顔で不思議そうに聞いています。とりあえず1ページだけ読んでおしまいにしようとしたら、もっと読んでほしいと促され、結局4ページほど読み聞かせたのです。読み終わった途端に拍手喝采。日本語は珍しいのでしょうね。その家ではホームステイの外人をよく預かるらしいのですが、日本人は初めてだったようです。何にそこまで感激してくれたのかは分かりませんが、とにかくうれしかったです。日本語を大切にしようと思いました。

怖いもの、悲しいこと

今までで、一番怖かった経験はなんですか?たくさんあり過ぎて決められない人もいるかもしれませんし、そもそも怖いものに順位をつけるのが憚られる人も多いかもしれませんね。私もそうです。恐怖に順位をつけてしまうと、じゃあ一位ではないものは怖くないのかと思ってしまうし、一位があるんだったら、二位以下は別に起きても平気なのかと考えると、そんなこともないし…という気持ちです。だから、「こっちの方がまし」と言うことは出来ないんですよね。マイナスの出来事って、順位づけられることじゃないんです。どちらかを選んだとしても、どっちも起きてしまうことだって、更に酷いものも追加されてしまうことだってあり得ますから…と、少なくとも私自身ではそう思っています。子どものころ、近所で火事が起きたのはとても怖かったです。同じ町内の家で、子ども会が一緒の人のおうちでした。学年も性別も違う子の家だったのと、死傷者もなく済んだので、不幸中の幸いでもあったのですが、二階建ての家の上まで燃え上がっている炎はとても怖かったです。風下の家にも火が飛んでいるのを、危なくない程度に離れた場所から見ていたとき、子どもながらに「あの子が集めていた本はどうなったのかな」とか「みんなの写真はどうなるんだろう」とか、ぼうっと現実味のないことを考えていました。あれは恐怖だったし、悲しみだったと思います。

ブームの過ぎたヘッドフォン

ヘッドフォンには、マイブームがあります。可愛いデザインのものをゲットして、毎日家でも通勤・通学の道でも使って、電車の中や待ち時間を楽しくしてくれるヘッドフォン。可愛いデザインのもの、人気のカラー、音質にこだわったものなど、コレクション感覚でたくさん集める人もいるようですね。私の場合、そこまでこだわったりはしないのですが、それでもたまにぐっとくるデザインのものに出会って、お気に入りになったりすると、ずっとそれを使ってしまいます。以前夢中になっていたけれど、最近新しいものを買ったので、しばらく使わないでおいたヘッドフォンがありました。決して壊れたわけではないんですけど、新しいものを熱心に使っていたので、ついつい放置ぎみになっていたんですよね。久しぶりに触ったら、白かったボディの一部が、黄色く変色してしまっていました。劣化なんでしょうか、日に当たるようなところには置いていなかったから、日焼けということはないと思うんですが、ショックでした。子どものころ、日向の部屋に置いておいたマンガ本の背表紙が、すべて薄い色に日焼けしてしまったショックを思いだし、保存状態をもっと徹底しなくてはいけないと身に沁みました。

ゾンビと香水

最近読んだ小説の中で、生きているフリをしているゾンビが、体臭を誤魔化すためにいつもたくさんの香水をつけている…という設定がありました。身体があがってくる腐ったにおいなんかを誤魔化すためですね。実際、登場人物のほとんどは、それに騙されていて、彼女がゾンビだということに気づかないでいたのです。その後の物語の展開では、簡単にばれていってしまうのですが…現実的なことを考えるのは無粋かもしれませんが、身体のにおいを完全に隠せてしまうくらいの香水の量って、相当だと思ったんです…。香水のにおいが苦手な人って、物語の中でも、現実世界でも、結構いますよね。特定のにおいがだめとか。ほのかだったらいいけど、たくさんかけられるのは…という人も多いです。ぷんぷんにおって、周囲の人の気分が悪くなってしまうような量を付けている人って、やはりたまにいます。満員電車の中で、どう考えてもつけすぎな香水のにおいをかいでしまうと、そこまで苦手でもない私ですが、いくらか嫌な気持ちになったりもしますし、そういう人に対して、大抵の人が「程度がある」「マナーがなっていない」という気持ちを抱いたりしているようです。この小説の人は、そういう感想からは無縁の人だったのでしょうか…?

美容師さんとの会話

美容院に行くと、色々話しかけてくれる美容師さんが多いですよね。よほど「話しかけないでくださいオーラ」を出しているお客さんか、よほど「話したくないですオーラ」を出している美容師さんでもない限り、ある程度会話があるものだと思います。人と人って、会話が盛り上がるかどうかはなかなか難しいものだと思いませんか。少なくとも、美容師さんの方は、「話しかけないでオーラ」を出しているお客さんには、声をかけていかなくちゃいけないと思っているというか、そういうものだという形になっている気がします。私はたまに読みかけの本を持参しているので、その続きが気になって仕方ないときは、自分の読書に入り込むタイミングがわからなくなってしまうので、放っておいてほしいときがあるんですよね。美容室に元々置いてある雑誌なんかもそうですが、気になっているものや読みたいものがあるときは、少し迷惑に感じてしまうこともあります。美容師さんは仕事をしているわけですから、私が読んでいるものをのぞき込んでいることはないんですけれど、なんてなく変な気持ちになってしまったり。例外があるとすれば、以前読んでいる本を訪ねられて、しぶしぶ答えたところ、その美容師さんもその作品の大ファンで、本の趣味がとてもよく似ていて、大盛り上がりしたことがあるときでしょうか。あれは楽しかったなーと思います。

修学旅行そっちのけ

中学生のころ、友達ととても夢中になっていたマンガがありました。それが小説化されることが決定して、喜んで奇声のようなものを挙げながら手を叩いた記憶があります。なにも知らない人からみれば、ちょっとした狂気の沙汰でしたが、そのくらい嬉しかったんですよね。自分の好きなものが、様々な媒体に展開されていくのは、怖い反面、期待がたくさんあります。もちろん、失敗してしまう可能性だってあるんですよね。現にそれまでだって、好きなマンガが小説化してつまらなかったり、逆に大好きな小説のコミカライズが全然好きになれず、「こんなはずじゃなかったのに」「こんなのあの原作じゃない」と文句を言ったこともたくさんありました。それでも、嬉しいものではあるんです。心配も不安も、嬉しいからこその期待の裏にあるものなんですよね。実際、「絶対そのメディアミックスは合わない」と思っていても、そこはプロの技ですから、「まさかこんなに成功するとは」と化けてくれることだってありましたから。結局、その小説化が楽しみ過ぎて、修学旅行先でお土産も早々に、デパートの中の本屋さんに行って、発売日に購入し、帰りの新幹線の中で読んでいた記憶もあるのでした。