習慣づけの強み

子供の頃、母の手伝いをするのが嫌いでした。面倒だったし、上手にできないとやり直さなければいけない場合もあったからです。しかし嫌々ながらも続けているうちに、いつしかそれは習慣になり、ある程度の年齢になった時には、何の苦も感じることがなくなりました。それは私がすべきことであり、言ってしまえば義務のようなものだからです。
その時以来、嫌だけどしなければならないことは、できるだけ頻繁に行って、習慣づけてしまうことを心掛けています。大変だ、面倒くさいなどと思うのは最初だけ。それをするのが当たり前になってしまえば、大成功と言えるでしょう。だって、不満を感じずに行動できるんですよ。得以外のなにものでもありません。
本当は、そんなことはしなくてもいいというのが、一番なのですけれどね。世の中は、必ずしも楽しいこと、幸福なことばかりではありませんから。それは現実だけではなく、どんな創作作品を見ても、わかることです。最悪の状況から一転、幸せなハッピーエンドに至る道筋は、大きな感動を与えてくれるでしょう。これがもし、ずっと平和な道だったならば、それほどの喜びは感じられません。禍福はあざなえる縄の如し、しかし禍はなるべく感じぬよう、頑張っていきたいものです。

本は友達と言うけれど

先日テレビに出ていたアーティストのグループが、とても仲良しだったので、羨ましくなりました。私には彼らのように、親友と呼べる人がいるだろうかと、考えてしまったのです。思えば学生時代は、それこそ友達と毎日顔を合わせていましたね。くだらないことから真面目な悩みまで、真剣に話し合ったものです。しかし今はそういう相手はいませんし、不安や不満もすべて自分の胸にしまい込んでいます。
そんな私を癒してくれるのが、多くの書籍たちです。問いかければ声が戻る……ということはないにしても、ストーリーの中には、お説教と違う答えが記されているものも多く、多くの主人公たちの言動は、勇気や喜びや、時には驚きや悲しみまで、与えてくれます。それらは日常、一人で過ごす時間が長い時には、とても新鮮に感じられるのですよ。
しかも本が相手ならば、次に会う約束をする必要はありません。こちらが気が向いた時にいつでも、ページを繰ることができます。それも素晴らしいですよね。……と言いつつも、友人が懐かしくなる時があるのも、事実。今は皆それぞれの生活で忙しい時間を過ごしていますが、たまには連絡をとってみようかしら。SNSやメールならば、邪魔にはなりませんよね。

一冊と一曲の価値

最近、懐かしいアーティストの曲を聞いています。自室でひとり、目を閉じて、どこか哀愁漂うメロディと歌声に耳を傾けていると、歌詞が映像となって頭の中に浮かび、とても切ない気持ちになるのですよ。ですが、それはけして不幸なことではありません。今はもう遠くなってしまった初恋を思いだすような、手を伸ばしても届かない光を追い求めるような、そんな感じで、希望を見いだし、心がときめきもするからです。
今まで、音楽に夢中になることは、あまりありませんでした。しかし今は、時として、一曲の楽曲は、小説一冊にも匹敵する感動を与えてくれると思っています。どちらのほうが作る手間がかかるのか、それはわかりません。もちろん価値は、人それぞれでもあるでしょう。ただ私は、その両者の中から、自分が感じるものを胸に留めおくだけです。
これまでに見知った感情、そして今後も経験することができないだろう物事。芸術作品は、多くのことを私に教えてくれます。たくさんのアーティストや作家がいる中で、お気に入りの方に出会えるかといえば、最早縁としか言えませんが、私は、ファンの一人として、そのご縁と与えられる感動を、今後も大切にして行きたいと思っています。

旅の荷物は最小限に

もうかなり昔の話ですが、有名な作家さんが旅行をする時の荷物について話している記事を読んだことがあります。その人は当然のごとく読書家で、道中に読む一冊の他に、それを読み終えてしまった時の一冊、計二冊の本を、常に鞄に入れていたのだそうです。なんでも予備がないと落ち着かなくて、最善と思われる準備をするので、荷物はすごい量になっていたのだとか。
それがある時から急に、いつも使っているバックひとつでも平気というくらいになったのだそうです。本はなくても困らないし、着替えだってとりあえず下着があればなんとかなる、そんな思いに至るには、どんな経験をしたのでしょうね。そこが肝心なところなのに、残念ながら覚えていません
以前自転車で旅をしていた人達は、すべてのものを小さなポーチに収めていたけれど、あれはたくさんの荷物を持って行けないからだとわかるのですけどね。ホテルのお風呂で毎日洗濯をして、乾かない時は生乾きのまま着ていたそうです。しかし彼らは、本ではなく地図は持っていましたよ。カーナビもない自転車の旅には、必須のものなのでしょう。鞄が大きくてもいけないわけではないですが、慣れている様子が格好いいなと思いました。

子供の力、親の望み

とある日曜日ぼんやりテレビを見ていたら、子供向けの特撮やアニメ番組が連続する時間に突入しました。その日は偶然見ただけなので、内容はほとんどわからないのですが、あれは気持ちを明るくしてくれますね。基本的に主人公が元気でいい子なので、それが心地良いのです。
しかしそれを幼稚園児を子育て中の知人に言うと、彼は「画面の中で賑やかなのはいいけど、それを見ている子はもっと元気なんだよ……」と少々ため息交じりに言いました。曰く、仕事で疲れているのでゆっくり休んでいたいところを、早い時間から「パパ、テレビ見ようよ、起きて!」と揺り起こされるのだそうです。まだ寝ていたい旨を訴えても、相手は幼児、なかなかわかってくれません。私は休日でも起きる時間は同じですし、子供はそんなものと考え、半ば当たり前のものとして受け入れていましたが、お父さんという立場にとっては、そういうものですよね。
暑くても寒くても、子供は元気に公園遊びをねだります。美味しいおやつや、面白いテレビでご機嫌になって、最後はこてんと眠りに落ちて。私も昔はそうだったのでしょう。早く大きくなってほしいけれど、成長し「ママ、パパ」と懐かくなるのは悲しいところ。そんな話をかつて母に聞いたことを思いだしました。

魔法少女への夢

だいぶ前の話ですが、子供向けの絵本で、いろいろな職業に従事する方のタイムスケジュールを見たことがあります。私達が子供の頃にはこのようなものは見られたかしら、と思いつつ、どの仕事も大変なのだなあ、と思いましたね。もちろんそれには、仕事の内容やどのような人が向いているか、実際その職に就くためにはどのような勉強をしたらいいのか、ということも書かれていました。こういったことを小さな時から知ることができれば、みんな夢を持ちやすいでしょう。
ただ、それは少々大きくなってからのことです。先日知り合いの幼稚園児の子に「大人になったら何になりたい?」と聞いたら、彼が大好きなヒーローの名前が出てきました。あと何年、そんなことを言うのかしらと、実に微笑ましかったですね。私も昔は、魔法少女に憧れたものです。
そのような時期を経て、人は成長していきます。ともすれば、途中で目標を変えることもあるでしょう。しかしながら、ヒーローになりたいという気持ちは、心の奥底にしっかり残っているものなのではないでしょうか。私は魔法少女にはなれなかったけれど、今も知り合いの子供と一緒にステッキの玩具で遊び、ファンタジー小説を愛読しています。そして、大切な人の笑顔を守りたいと思っています。

歴史を超えた訳の新旧

先日、歴史の教科書で名前を見た人が小説を書いていたことを知り、たいそう驚きました。何回も出版を重ねて現代にまで残っていることが、まるで魔法みたいだと思いもしましたね。そして実際に読んでみれば、文章の中には、当時の生活や空気、活気が感じられて、今とはまるで違う雰囲気だからこそ、それがとても魅力的でした。
たとえば、今出版されている本の中で描かれている現代も、この後いつかは、遠い過去になるのでしょうか。何十年か後には、どこかの漫画のように、ロボットが主導を握る世の中になっていたりするのかも知れません。それとももしかしたらまるで変わらなかったりして。考えるとしても面白いですね。私の大好きなファンタジーのようです。
ただ古い作品は日本のものですと仮名遣いが難しく、外国のものですと翻訳が読みにくいことがあります。これも時代の問題なのでしょうか。理由はわかりませんが、だからこそ新訳が販売されるんですね。そしていわゆる現代っ子たちは、新しいものを求めるようです。親せきの子も、わざわざ最新版を探していました。ただ図書館に置いてあるものは、ずっと以前の古いものが多いそうです。私などは、そちらを懐かしいと思ってしまいます。

祖母の着物と日記帳

友人が着物の整理をしたそうです。おばあさまから貰い受けたものがたくさんあるんですって。着物は多少体型が違っても着られますからいいですよね。生地や着方の流行などはあるようですが、形などは長く同じですし、時の経過もあまり関係なさそうです。
彼女はそれらを、天気のいい日に部屋に出して、風をとおすのだと言っていました。そのときに、ついでに一緒に預かっている日記帳も、並べるのだとか。すっかり色が変わって、表紙もとれかかったそれは、おばあさまが長く書かれていた物だそうです。とはいっても、中身は読んでいないし、読むつもりもないのだと言っていましたね。おばあちゃんのプライバシーだし、達筆すぎて読めないし、とのこと。たしかに昔の方の文字は、流麗というか、ちょっと崩れていて癖がありますよね。私の祖父母もそんな感じでした。
彼女のおばあさまはだいぶ前に亡くなられていますが、今でも孫娘がこうして、譲り受けたものを大切にしてくれていると知ったら、嬉しいでしょう。ちなみに彼女は、もっと年を取って、毎日落ち着いて家で過ごせるようになったら、着物を着て日常生活をしたいそうです。そのために、今着付け教室に通っているんですよ。

個性が強い作品は身を任せることが大切

個性が強い作品ってありますよね?そうした小説の場合、ちょっと読みづらいと感じるかもしれませんが、あることを心がけるとどんどん頭の中に入っていきます。まず、心がけて欲しいのが「身を任せること」です。これは友人に言われて意識するようになったのですが、個性の強い作品の場合、深く考えずにボーっと読んだ方が理解しやすいと思います。自分のペースで読もうとするのではなくて、作者に合わせることが大切なのです。かなりここは重要なので、覚えておいてくださいね。
あともう1つ大事なことは、分かるまで何度も読むことです。個性の強いものは、一度で理解するのは難しいと思います。毎日小説を読んでいる私でさえ、1回では分からないこともあります。1回でイマイチ理解できなかった場合は、2回、3回と読んでみてください。すると「なるほど!そういったことか!」と納得できることが多いです。この2つのポイントを意識すれば、ちょっと読みにくいと感じる個性的な小説も楽しめるでしょう。ただ、読書初心者の場合は無理にそうした本にチャレンジする必要はないです。本に苦手意識を持ってしまう可能性があるので。初心者はやっぱり分かりやすいものがいいかもしれませんね。

最近の少女漫画は男性にも人気?

職場にいる男性がなにか読んでいたので、気になってタイトルを見てみたら少女漫画でした。まったくそんな感じではなくて、硬派な印象の男性だったので、その時は「えっ!」と思いましたが、最近の作品は男の人にも人気みたいですね。試しに仲のいい男友達とかに聞いてみたら、意外に読んでいる人が多かったです。私も男性向けの漫画を読んでいるので、それと同じ感じだと思いますが、確実に以前よりも読者層が変わったんじゃないかな。近頃は少年誌の売り上げが微妙だって言われているけど、もしかするとそっちの方に人が流れていっているのかもね。
ちなみに職場の人が手にしていた作品は、私も知っているものでした。けっこうおもしろいですよ。恋愛小説が好きな人ならハマると思います。映画にもなっているから知っている人も多いかもしれませんが。でも、こんな風に女の子向けの作品を読んでいる人を見ると親近感を感じますよね。あんまり声をかけたことがないけど、今度積極的に喋ってみようかなって思いました。それでもし小説を読む相手なら、本の貸し借りをしたいですし。本が好きなら嬉しいなぁ。ただ、ほとんどしゃべったことがない相手なので、いきなりグイグイいくとびっくりされるかもしれないので気をつけようっと。