夢でも本でも主人公

先日、真っ青な空の中を、腕を羽ばたくようにして飛ぶ夢を見ました。目覚めている今から思えば、実際にはそんなことができるわけもありませんし、万が一にできたところで、きっと、高いところに怯えてしまうでしょう。しかしその夢では、風は気持ち良く景色は美しく、最高の感動を味わっていました。
この感覚は、主人公に感情移入をして読書をした時の気持ちに似ていると思います。日常の私は、絶世の美女でも誰もが尊敬する勇者でも、愛らしいプリンセスでもありませんが、本の中でなら、セーラー服を着た女子高生にも、偉大な魔法使いにもなれるのです。しかもそれについて、似合わないとか年甲斐もないなんて、文句を言う人はいないのですよ。まさに自分が主役なのです。なんて素敵なことでしょう。
もちろん、本を読み終えれば現実が待っていて、暑くても寒くても起きなければいけないし、すべきことをしなければなりません。でもあの時間があるから、妄想してストレス解消ができるし「また明日も頑張ろう」という前向きな気持ちになれたりするのですよね。ただ、本は好きなものを選べますが、夢はコントロールできないのが惜しいところ……でもそれもびっくり箱のようで、面白いと思っています。

お古のおかげで本が二倍

この間近所のスーパーに行った時に、姉妹と思われる少女が、お揃いのワンピースを着ていました。それで思いだしたのは、自分の子供時代のことです。末っ子の友人は「自分はいつもお古を使っている」とぼやいていました。
子供はすぐに大きくなってしまいますから、親としては、個々に買うのは勿体ないと思うのでしょうね。今ならばその気持ちはわかります。でも本人としては「いつも新しいものを買ってもらうのは、お姉ちゃんばかり」という不満があったのでしょう。ただ私は、それを羨ましいと思っていました。だってたとえば、読書感想文を書く時のことを考えてみてください。あれは課題図書が決まっていたので、お古ではなく、彼女は新しい本を買ってもらえたんです。そうすると、姉の分と自分の分で、二冊の新刊が読めるんですよ。私は毎年厳選して一冊選んでいたのに、です。
隣の芝は青いと言いますが、結局はどっちもどっちなのですよね。親も限りある収入の中で苦労して子育てをしてくれていたはずなので、何も言えませんが、私が今たくさん本を買ってしまうのは、当時の反動もあるかもしれない、と思っています。ただ単に、面白そうな作品があるから、というのも考えられますけどね。

心休まる古書店

先日久しぶりに、少し遠くにある古書店に行きました。ここに来るといつも入口で、深呼吸をしてしまいます。古い物にある独特な香り……友達は埃といい、知人はカビといいますが、あの湿ったなんともいえない匂いが好きだからです。時々吸い込みすぎて咳込んでしまうのは、ご愛敬だと思ってもらいましょう。ごめんなさいね、お客様。
特に目立つようなポップや注意書きはありませんが、数周もすればカテゴリわけがわかってきます。お気に入りの棚の前を、天井から足元までじいっと見つめ、何冊かを選んで、レジに向かいました。若い女性の店員が、年配の男性にレジを教わりながら勘定をしてくれて「ああ、新しいバイトの子だな」などと、穏やかな気持ちが胸に生まれます。なぜでしょうね。ここは、時間がとてもゆっくり流れている気がするのです。
小さな滑り台とブランコがあるだけの公園や、看板が傾いている古いカフェ、イチョウの綺麗な並木道に、ワインの美味しい地下のレストラン。中には一度訪れただけの場所もありますが、どこも心が落ち着くような素敵な空間で、この書店のように、安らかな気持ちになれます。こんな場所を知っている私って幸せだなあと、時々思うのですよ。

頑張らない読書

友人が「本って表紙を開くのが、ハードルが高いことあるよね」と言いました。確かにそうなのですよね。疲れている時は、そのたったひとつの行動が、とても手間に感じられるのです。しかしだからといって、電子書籍を読むために、パソコンのキーボードを叩くのも面倒と感じられるのですから、もうどうしようもありません。
私は、そういう気持ちの時は、自分は本を読みたくないのだろうと、きっぱり割り切ることにしています。たとえ図書館で借りてきたものの返却期限が迫っていたとしても、読了を諦めるのです。だって、無理をして読んだって内容は頭に入ってきませんし、苦痛なだけですもの。気がのらなくても頑張らなくてはいけない読書は、勉強に関するものだけだでしょう。
学生時代、嫌いな科目の教科書を読むのは、本当に嫌でした。テスト前だから集中しなくてはと思うけれど、やりたくないという思いが先に立ち、時間だけが経過していくのです。改善したのは、時間を区切ることを覚えた時でしたね。一時間だけ頑張ろう、そう思えば、案外乗り切れるものです。ただその策を得てなお、大人になって、そのような苦労なく好きな本が選べるようになった時は、嬉しかったですね。自由は幸福に通じるものだと実感しました。

公式ガイドで興味津々

有名な映画やドラマ、アニメなど、時々、公式ガイドと呼ばれる本が出版されることがありますよね。大抵は書店の目立つ場所に平積みになっていることが多く、該当作を知らなくても、つい目を惹かれます。ただ私の場合、そのまま購入してしまうことすらあるんです。たとえば表紙に出ている登場人物が格好良かったから、あるいはふと手に取ってあらすじを読んだら、面白そうだったから、等々。つまりその本が、私の興味を原作へと惹きつけたということですね。
その後は当然、元となった作品を見ますよ。夢中になるかならないかは、その時次第。なにせ先に公式ガイドを見てしまっているので、ちょっとしたネタはわかってしまっていますから、ちょっとした確認作業にも近い思いです。でも画面に映っている方はやっぱり素敵で、ストーリーは魅力的。後々も追いかけるほどになるかはわからずとも、その時は精一杯楽しんでいます。
公式ガイドなんて、本当にマニアなファンが買うんだろうと思っていた頃もありましたが、このような経験を経て、今ではすっかり考えが変わりました。人気作の『面白い』がたくさん詰まった最良テキスト、もし良さそうなものがあったら、またなにか買ってみようかしら。

石がジュエリーになるまで

友人の家で、宝石の写真集を見ました。彼女はあのきらきらとした美しい石が大好きなのです。ただ、身につけることにはあまり興味がないのだとか。アクセサリーとして使うことしか考えてこなかった私は、彼女の言い分に驚きました。しかし人の好みはそれぞれですから、これも楽しみ方のひとつなのでしょう。それに、私はこの写真集で知ったのですが、美しいカットをされてジュエリーとして加工されたものではなく、現先の中のひと筋の輝きも、とても魅力的なのです。
これが土の中から出てくるとすれば、まさに宝探しと言うにふさわしいでしょう。ですが、見つけるのは大変でしょうね……だって、一日中暗いところで土を掘り、それを細かく仕分けして、やっとのことで、ジュエリーに加工できるものがある、といった具合ですもの。しかも、石はここから研磨しないといけません。一ミリの狂いも許されない、細かな作業を続け、台座に取りつけたりして、やっとお店に並ぶのです。
これらはすべて、本に書かれていました。自分が知らなかった業界のことを知り、宝石の付加価値に気付かされた思いでしたね。またそれは同時に、目の前にあるものから、見知らぬ世界を見せてくれるのが書籍だということを、実感したひとときでもありました。

執筆ロボットが生まれたら

この前ラジオドラマを聞いていた時に、ふと思いだしたことがあります。今のように録音したものを流していなかった時代、ドラマの途中の効果音はすべて、その場で作られていたそうなのです。波の音ならば、ざるに小豆を入れて、ざあ、と聞こえるように振っていたのだとか、音を作る専門の人がいた、とか。なにせ昔のことで記憶も曖昧だけれども、まさに職人技と言える技術に、驚いたことだけは覚えています。
ただ、本当の波の音を録音してきて、使える今は、必要のないポジションなのですよね。マンパワーが、機械にとって変わられていく……便利ですが、ちょっとさみしくもあります。しかしこれが時代の変化でもあるのでしょう。もしかしたらいつかは、執筆ロボットなんて物が生まれるかもしれません。
ストーリーから考えられるのであれば、きっとプロット通り、スケジュール通りに作品を仕上げられるロボットは、人間より有能そうですね。でもこれじゃ、工場での大量生産と変わらないかしら。決まったフレーズを上手く並べて文章を作る機械。どうでしょう、やっぱりちょっと、ピンとこないかな。人間が想像できる物は、いつかは世に出るといいますが、これはまだ、二次元の中の話だけで十分です。

本は何でも教えてくれる

毎日うまくいっていると思っても、突然トラブルが訪れることってありますよね。そんな時、友達や家族など、信頼できる人に相談するというのもひとつの方法です。しかし私はたいてい、本のページをめくります。もちろん、今悩んでいる問題に対して、直接の答えが書かれているものは少ないですよ……というか、ほとんどありません。ですが本の中には、あらゆる世代の人がいて、様々な世界があります。絶対に、求める答えがどこかにあるはずなのです。
たとえば小説を読んでいる時に、漫画を楽しんでいる時に、それははっと見つかります。主人公が言ったたった一言の言葉や、ちょっとした行動の中に隠れていることもあるでしょう。作者の表現の一部であったりもします。それらは私の記憶に留まり、遠い未来に悩んだ時に、心の支えとなってくれるのです。そこまではいかなくても、気分転換として、純粋にストーリーを楽しむのもいいでしょう。
本は私の秘密をばらしたり、悩みについて、聞きたくもない意見を与えることはありません。どんな時も変わらずに、傍にいてくれるのです。なんてありがたい、私の友達。一生をかけて、添い遂げるに値する価値のある大切なパートナーと言っても、過言ではないでしょう。

絵本のクイズは難しい

この間、親戚の子供が遊びにやってきました。その際に持っていたのが、動物の絵本です。かわいらしいなあ、と微笑ましい気持ちで眺めていたのですが、それは、曲者でした。なんと、ページに動物の足の裏の絵があって「これは何の足?」というようなクイズになっているのです。そんなのじっくり見たことないよ!というようなものまでいるんですよ。
当然、子供に聞かれてもわかりません。でも当人はもうとっくに知っているわけです。あの時の得意げな顔は、思いだすと笑ってしまうほど愛おしいのだけれど、その場ではとても悔しかったです。他二は、国旗がずらっと載っているのも、難関でした。地理は苦手なんです。
あとは、果物の切り口が描いてあったり、工場見学風だったりと、絵本も本当に進化していますよね。私が小さい頃にも、こんなものがあったのかしら?と疑問に思ってしまうほどです。でもやっぱり、私が一番目を引くのは、飛び出すものとか、シールが貼れるタイプかしら。ああいう遊べる本は、他になかなかありませんからね。つい夢中になって、一緒に眺めてしまいます。その他、塗り絵も楽しいかなあ。これは、いつかやってみたいと思って、実は一冊、机の引き出しにしまっています。

図書カード、使う時はいつでしょう

友達が、家族に図書カードを貰ったそうです。抽選で当たった物が流れてきたとのことですが、面白いのですよ。「このカードがあれば、現金がなくても本が買えると思うと、勿体なくて使えない」なんて言うのです。私だったらきっとすぐに、書店にとんでいきます。だって大事にとっておいても、腐るものでも使用期限があるものでもないので、いいと言えばいいですが、やっぱりいつかは使うものですし……。と、なぜか話を聞いた私のほうが、悶々としてしまいました。ちなみにこれは、数か月も前のことです。
そしてつい先日、同じ友達に会ったところ「やっぱりまだ使えない」ですって。お小遣いが足りないけれど、どうしても欲しい本がある時に使いたい、などと思っているのかもしれません。その気持ちなら、わからなくもないです。だってそれで諦めたことは、何回もありますもの。
こんな話を聞いていると、この友達が、とてもかわいく思えてきます。まったく、働いてる社会人なのにと思ってみたり、それほど大事にしてるのね、なんて感じてみたり。お年玉を貰って、すぐにおもちゃ屋に向かって行った遠い昔の自分とは、比較にならない愛おしさです。その頃に買ったぬいぐるみは、今でも我が家で元気にしています。