あなたも私の愛読書

先日ふと、人との付き合い方は、本との付き合い方に似ていると思いました。最初は「どんなことが書かれているんだろう」とわくわくしてページをめくり、読み進むうちに好みがわかれ、自分との相性を考えるようになります。その頃には相手の内面、本で言うならば内容を理解していますから、あとはどのような距離感で接していくか、と検討するわけです。毎日手にとるお気に入りにするのか、それとも困った時に開く教科書的なものにするのか。それによって置き場も変わるでしょう。
それを友達に言うと、彼女は「面白いことを考えるね」と笑った後に「私はどんな本だった?」と聞いてきました。「ずいぶん昔から付き合っているから、愛読書かな」と答えた時には「ありがとう」と言ってくれましたよ。
実際は毎日会っているわけではないから、単語の意味としたら、適切ではないかもしれません。でも、いつでも安心して手にとれる安心感や、どんなことでも話せる信頼はずっと変わらないのですよ。長く心の支えになってくれる愛読書にも等しい、いえ、それ以上に大事な人なのです。私は彼女にとってどんな存在なのかしら。尋ねる前に「あなたも私の愛読書」と教えてくれました。嬉しいけれど、照れますね。

ひとりきりの夜の時間

この間夜中に目を覚ますと、窓の外で、まるで嵐が来ているかのようごおごおという音が聞こえました。雨は降っていないのに風が強くて、家ががたがたと震えているのです。大人の私は「これで起きちゃったのか。うるさいなあ」と布団をかぶりました。でも眠れずに目を閉じている間にふと、子供の頃のことを思い出したのです。
台風で眠れなかった日に停電になり、真っ暗な中必死に廊下を歩いて、両親がいる部屋に向かったあのとき。「大丈夫、すぐ電気つくようになるよ」と言われて実際そうだったのだけれど、本当に怖くて、朝まで部屋に戻ることはありませんでした。今となっては微笑ましくも恥ずかしい思い出です。
夜を怖いと思わなくなったのはいつからでしょう。学生時代はひとりで過ごせる静かな時間として、読書を楽しんでいました。大人になってからは残念ながら体力が続かず、休息の時間になっています。一日が三十時間くらいあったら、もっといっぱい本が読めるのですけれどね。すべきこととやりたいことの優先順位を間違えてはいけないと思いつつも、未読のままたまった本の山が目に入ります。いつか、寝坊しても構わない日の前日に、たまには夜更かしをしてみましょうか。