年月が経っても変わらないファッションの心髄から学ぶこと

今から十数年前に発売されたファッションについて書かれた随筆を読みました。オリジナリティ溢れるイラストと筋が通ったエッセイには、学ぶことがたくさん詰まっていました。当時の流行りのアイテムから定番のものまで、イラストの色合いはとてもセンスが良く明日にでも使えるコーディネートがたくさん載っていました。そして丹精に書かれた絵や文章から最も印象に残ったことは、体型などのコンプレックスを把握することでその人らしさが反映されたセンスを表現できることでした。個性を生かしたコーディネートとは、体型を把握して嫌いな部分をどんな風に魅せるかがとても重要なカギになるのです。また短所を受け入れること、それをどう生かすかを考えることは、自分自身を受け入れつつ嫌いな所を好きになることにも似ているようにも感じたのでした。こうしたことからおしゃれを上手に楽しむことは、自分を愛する一歩にも繋がるのではないかと思うようになりました。
ファッションは着る人のセンスだけではなく、職業やライフスタイルまでも反映するものです。そのため清潔感を持ちつつTPOに合わせた洋服を着ることは、人とよい関係を築くためにも重要な要素になります。今ある自分を美しく表現することは、相手に私という人間を理解してもらう手助けになることを改めて知ったのでした。

自分の時間が宝物

この間、親戚の子供の誕生会をしました。ケーキを買って、ごちそうを作って、プレゼントを用意して、大人たちは大忙しです。ただ祝われる本人は朝からご機嫌で、家じゅうを駆け回っていました。「今日はお誕生日なの」と皆知っていて、そのために集まっているというのに、全員に言っているのです。なんて微笑ましい四歳児でしょう。
そんな少女を見ていてふと思いだしたのが、祖母と母のことでした。祖母は自分の誕生日を忘れてしまうことも多かったけれど、「おめでとう」と言うと、とても喜んでくれました。それに対しては母は「もう年なんてとりたくないよ、面倒くさい」なんて言っていましたね。なにが面倒なのかはわかりませんが、年齢を重ねたくないという気持ちは、わかる気がします。なぜなら次第に不調が出たり、疲れやすくなったりするからです。祖母はその時期を超えてしまったのかもしれません。
ただ私は、いつでも誕生日を嬉しいと思える人でありたいと思います。だって、私が過ごしてきた時間も、これから歩む人生も、私だけのものですもの。良い時も悪い時もあります。大きな嵐に出会い、これが人生の底かと思う経験もしました。それでもやっぱり、自分の時間を否定したくはないのです。

あなたも私の愛読書

先日ふと、人との付き合い方は、本との付き合い方に似ていると思いました。最初は「どんなことが書かれているんだろう」とわくわくしてページをめくり、読み進むうちに好みがわかれ、自分との相性を考えるようになります。その頃には相手の内面、本で言うならば内容を理解していますから、あとはどのような距離感で接していくか、と検討するわけです。毎日手にとるお気に入りにするのか、それとも困った時に開く教科書的なものにするのか。それによって置き場も変わるでしょう。
それを友達に言うと、彼女は「面白いことを考えるね」と笑った後に「私はどんな本だった?」と聞いてきました。「ずいぶん昔から付き合っているから、愛読書かな」と答えた時には「ありがとう」と言ってくれましたよ。
実際は毎日会っているわけではないから、単語の意味としたら、適切ではないかもしれません。でも、いつでも安心して手にとれる安心感や、どんなことでも話せる信頼はずっと変わらないのですよ。長く心の支えになってくれる愛読書にも等しい、いえ、それ以上に大事な人なのです。私は彼女にとってどんな存在なのかしら。尋ねる前に「あなたも私の愛読書」と教えてくれました。嬉しいけれど、照れますね。

ひとりきりの夜の時間

この間夜中に目を覚ますと、窓の外で、まるで嵐が来ているかのようごおごおという音が聞こえました。雨は降っていないのに風が強くて、家ががたがたと震えているのです。大人の私は「これで起きちゃったのか。うるさいなあ」と布団をかぶりました。でも眠れずに目を閉じている間にふと、子供の頃のことを思い出したのです。
台風で眠れなかった日に停電になり、真っ暗な中必死に廊下を歩いて、両親がいる部屋に向かったあのとき。「大丈夫、すぐ電気つくようになるよ」と言われて実際そうだったのだけれど、本当に怖くて、朝まで部屋に戻ることはありませんでした。今となっては微笑ましくも恥ずかしい思い出です。
夜を怖いと思わなくなったのはいつからでしょう。学生時代はひとりで過ごせる静かな時間として、読書を楽しんでいました。大人になってからは残念ながら体力が続かず、休息の時間になっています。一日が三十時間くらいあったら、もっといっぱい本が読めるのですけれどね。すべきこととやりたいことの優先順位を間違えてはいけないと思いつつも、未読のままたまった本の山が目に入ります。いつか、寝坊しても構わない日の前日に、たまには夜更かしをしてみましょうか。

親友二人の不思議な関係

私の友人の一人は、本を全く読みません。ずっと一か所に落ち着いているのが苦手なのですって。そのせいで、ドラマや映画も苦手としています。もう一人の友人は、読書も映画も大好きです。他のことは見えなくなるほどその世界に没頭し、集中している間はずっとじっとしています。そんな二人が、親友同士なのですよ。
お互いの考えを否定することなく、自分の趣味を押し付けることもなく、彼らは昔から一緒にいます。だからといって、何かを一緒にやるということはありませんが、音楽の趣味が一緒です。一方は歌ったり踊ったり、楽器を弾いたりしながら聞いて、もう一方は、ただひたすらじいっと聞き入っています。お互い相手に「静かにしろ」とか「一緒に歌おう」とかは言いません。
タイプが違う二人を繋いでいる音楽って偉大ですね。ちょっと仲間に入りたい気がするけれど、あの独特の空気を壊したくないし、自分の浅い知識では申し訳ない気もして、曲を聞いている時は邪魔をしないようにしています。ちなみに私が彼らと友達なのは、学生時代に同じ班になったからです。それ以来なんとなく一緒にいて、気付けば皆大人になりました。縁も切れずに、年に一度ほど集まっています。不思議な関係ですね。

廃品回収で友達ゲット

新聞紙や雑誌などを廃品回収に出しに行き、回収場所で近所の人に会い挨拶などをしていたのですが、その人が突然「その本、捨てるなら貰えませんか?」と言いました。倉庫の奥にずっと置きっぱなしになっていた、古い月刊誌の山です。私としては、その方が持って行くことに何の問題もなかったので快く渡すと、その人は「その表紙の漫画、読みたかったんです」と笑みを見せました。
どうやら、好きな作家さんの短編が載っている雑誌だったようです。短編はコミックスにならないものもありますからね。そうなると過去の作品を読むには雑誌を手に入れるしかありませんが、なにせ期間限定もの、一度逃すと購入は難しいわけです。つまり私たちは、ちょうどよいタイミングで会ったということでしょう。その話が掲載されている号を、一番上にしたのも、偶然ですが良かったのですね。
相手は私よりも年上の方で、今までは世間話をするにしても、それほど突っ込んだ内容は話してきませんでした。それが、こんなところで漫画友達になるなんて、なんて嬉しいことでしょう。今度お礼に、お勧めの作品を貸してくれるとのことなので、楽しみにしています。私もなにか、貸すものを選んでおこうかな。

変わらない本の好み

この間、長く使っていたDVDレコーダーが壊れてしまいました。読み取りをする部分がおかしくなってしまったのか、録画はできるのですが、再生ができないのです。修理をお願いしようと思ったけれども、どうやら買った方が安い様子……ということで、再購入を決めました。
ただ最近の主流はブルーレイレコーダーですし、機能も昔よりだいぶ増えていますので、実際に買う前に、いろいろと下調べをしないといけません。けして安いと言えない品物だからこそ、後悔することだけは避けたいのです。これは何を買う場合にも、同じことですよね。スーパーで野菜ひとつ選ぶにも、重い物が良いとかめがつまっている方が美味しいとかありますもの。それは主婦の友達に聞けば詳しく教えてもらえます。レコーダーは、家電製品に詳しい友人に相談してみようかしら。
困った時には聞いてくれる人がいて、自分は恵まれているなあと思います。そんな彼らにできるお返しは、各々が好きそうな面白い本が出た時に、教えてあげることくらいでしょうか。仲良しグループそれぞれが選んだ道は、今はまったく違った方向に進んでいるけれど、最初知りあったきっかけは、共通の作品のファンだったことなのです。

本を買うのは読みたいから

この間古本屋に行ったら、福引券を貰いました。「次に来た時に使ってくださいね」と言われ、これは絶対お客さんを引き寄せるためのものだと思ったのですが……やっぱりまた訪れてしまいましたね。だって福引ははずれなしで、うまくいけばそのお店で利用できる高額商品券が貰えるのですよ。本を買うだけでこんなチャンスがあるのなら、いかない理由はありません。
しかし残念ながら……いえ、幸運にもと書くべきでしょうか。当たったのは、店主手作りのビーズのマスコットと、50円の商品券でした。なんでも、趣味で作っているものが溜まってしまったので、配ってみようと考えたのだそうです。思いついたら即行動できる、この自由さが個人経営の魅力でもありますね。
マスコットは机の端に置いて、毎日眺めています。そして商品券はなんと利用期限がないそうなので、今度行くときに使おうと、大切にお財布にしまいました。また引き寄せられていますね……。でも今回の福引で、思いました。やりたいことにチャレンジする店主さんを見習いましょう。欲しい本があるから買いに行く、そこに迷いを持ってはいけないのです。……お小遣いの限界が来るまでは。格好良いことを言っても、それは大事ですよね。

書庫は夢のたまもの

活字中毒とはよく言ったものだなあと、最近実感しています。だってそれを公言する友人は、活字ならばなんでもいいという勢いで、欲しがるのですもの。かくいう友人は常に本を持ち歩いてはいますが、それをうっかり道中で読み終えてしまうと、電車の中に置き忘れられている新聞や、フリーペーパーを読み始めていました。それがない時は車内広告に目を向けていたこともありましたね。彼女曰く「読んでいないと落ち着かない」のだそうです。
しかしもちろん、いつもこのような状態なのではありませんよ。当然仕事などには集中しますし、テレビだって見ることがあります。こうした症状が出るのは、あくまで彼女自身が暇だと思っている時限定です。しかし最近は、電子書籍を愛用しているせいで、このように文字を探すことはなくなりました。今読んでいるものが終わってしまったら、ボタンをぽちっと押すだけで、いくらでも本が買えるからです。
まったく、彼女にとっては天国のような時代になったものです。そんな友人は先日、自宅に書庫を作ったそうです。そういえば、学生時代に「そんなに本が好きなら、図書館の隣に住めばいいじゃない」と話したことを思いだしました。懐かしい思い出です。

倉庫を支えているのはロボット?

先日テレビで、大手通販会社の倉庫の中を見る機会がありました。広くてごみひとつ見えない清潔な廊下にもびっくりしたのですが、それよりも驚いたのは、荷物の入った棚を、下に車輪がついたロボットが運んでいたということです。誰かがリモコンで操作でもしているのかしらと思ってしまうほど見事な動きで、けしてぶつかることはありません。
あとから聞いた説明によると、お客様から注文が入ったら、このロボットたちが荷物の入っている棚を人間のところに持って行き、人はそこから必要なものをピックアップするのだそうです。要は、人間が該当の商品を探し回る手間がなくなっているわけですね。なんと見事な発想と技術でしょう。お掃除ロボが市販された時もかなり衝撃的でしたが、これはもう本当に、ここまできたかという感じでした。
もし少子高齢化で、元気に働ける年代が減っていくのだとしたら、このような手助けはありがたいですね。いつか家の中にも当たり前に、ロボットが参入してくる時代がくるのかしら。それとも、ボタンひとつでできあがった料理が出てくるとか。それこそ漫画みたいだなあと思いながらも、そのような未来はそう遠くないのかもしれないと思っています。