図鑑に詰まった皆の思い

友達が、知りあいの子供さんの小学校入学祝いに、学習図鑑のセットを贈ったそうです。今はインターネットで何でも調べられる時代ですが、こういった本がずらっと並んでいると、興奮してしまいますよね。自分の幼少時代を思い出しました。けして安くはないだろうに、いろいろと揃えてくれた両親には感謝です。
ただその図鑑は、今はもう私の家にはありません。なにせ小さなころに愛読していたものなので、成長するにつれ、内容が物足りなくなってしまったのです。結果、親戚の小さな子に、おさがりとしてもらってもらいました。私はもう学校の図書館を自由に使える年齢になり、親に図鑑を買ってもらうことはなかったのだけれど、本当にあれはいい思い出です。
知り合いの子供さんの胸にも、こうして温かい記憶が残ればいいな。ちなみにその子は赤ちゃんの頃から車が好きなので、乗り物関係の本はたくさん持っています。知りあいは、今の所はそれを全部、倉庫にとってあるのですって。「あげる子がいないし、売ってしまうのも勿体ない気がして」と言っていました。子供だけではなく、親にとってもたくさんの記憶がつまっているのでしょうね。書き手の思いもありますし、本ってすごく、たくさんのものでできているんだなと思います。

本のセレクトショップ発見

最近、素敵なオンラインショップを見つけました。新刊や売れ筋ではなく、店主お勧めだけが並んでいる書店です。リトルプレス、いわゆる少部数発行の本や、個人出版したものなどが多く置かれています。だからサイトを見ていると、外装も中身も個性的な作品がたくさんあるのですよね。好みが合えば大好きになることは間違いなしです。
そこ
を知ったのは偶然で、時間つぶしにインターネットをしていた時のことでした。一目惚れするような愛らしい本を発見したのですが、それを売っているのがそのサイトだったのです。多くの書店が縮小していく中、こんなところもあるのかと感心したことを覚えています。
さっそく見つけた書籍を注文したところ「個人が作業するので、お届けまでに少し時間がかかります」とのことでした。なるほど、手作業なのですね。特に急ぐものでもないので問題はありません。今は何かを注文したら、翌日に物が届くこともある時代なので、こののんびりさに、ちょっと心が和みました。便利な方を当たり前と受け取り、本来ならば不便と感じるほうに親しみを感じるなんて、不思議なことなのですけれどね。今は注文したものを待っている最中です。いつ届くか、楽しみだなあ。

刺激が欲しい時は本屋に行こう

先日友達と、「最近本屋さんに行かなくなったね」と話しました。インターネットでぽんっとクリックすれば、電子書籍が読めたり、通販を注文できる時代です。そうなればどうしたって、わざわざ暑い中、または寒い中外へ出て行く気はしなくなってしまいますよね。
ただ通販は、欲しい物を見つけるのは簡単なのですが、「何があるかなんとなく見たい」という場合は不向きだと思います。いわゆるウィンドウショッピングができないのです。もちろん、リンクを辿って商品画面を巡り、面白そうなものを見つけることはできますよ。でもそれって「この本を買った人が好きな傾向」だったり「新刊案内」だったりと、大体一度購入した作品に関わるか、向こうがお勧めと判断したものを見ているにすぎないんです。普段の自分なら読まないけれど、なんとなく惹かれて買っちゃうということが、実際の店舗に比べて少ないと思います。
それは節約になるけれど、刺激が欲しい時は物足りないと思ってしまうんですよね。そうなるとやはり、便利を手放して暑さ寒さの中でも、書店に足を運びたくなります。ふらふら見て回って衝動買いをして、自分なりに当たりはずれを味わって、喜んだり残念がったりも、たまにはいいものです。

未来の自分に贈るお気に入り

子供時代に一度だけ、タイムカプセルを埋めたことがあります。ただ何を入れたかも、実際に取り出したかも覚えていません。もし今同じようにタイムカプセルを作るとしたら、何を入れるでしょう。
友達に聞いてみたら、ひとりは迷わずアルバムと答えました。家族写真を残して、今の幸福を将来の自分に伝えたいのですって。素晴らしく理想的な回答で、羨ましいほどです。別の友人は、今読みかけの本を入れると言いました。「読みかけなのにいいの?」と尋ねてみると「実はあまり好みじゃないから、未来の自分に先を託す」とのこと。マイナス思考なのかプラス思考なのかわかりませんが、愉快な答えです。私だったら、お気に入りの本を入れたいですね。将来の自分もまだこれが好きかしら? そんなことを聞いてみたいです。
その後皆で話したところによると、子供時代のカプセルは授業で埋めたもので、数年後に掘り返したそうです。ただ私がすっかり忘れていただけでした。そんなに小さなころなら親に話したでしょうから、家族がなにか覚えているかしら。……入っていた物がお気に入りの本だったら嬉しいけれど、もし家族に向けた手紙とか書いていたら照れくさいので、やめておきましょう。

謎の本選びで開運

いつだったかのお正月あけ、「福袋を配った図書館がある」と聞いたのを思い出しました。司書さんが、子供や大人などの対象ごとにお勧めの本を袋に詰めて、まとめて貸し出すのですって。借りる人は題名はわからず「小説」とか「ノンフィクション」などのカテゴリーだけがわかる仕組みです。なんて面白い発想なのでしょう。
そういえば、書店やDVDショップでも、題名を隠して販売するという試みが行われているところがあるそうです。DVDには「これはこんなお話です」という実に端的な説明が書かれていますが、書籍の場合はまったく、なんのヒントもありません。まさに運試し、くじのようなものです。私は一度こういうタイプのお店で買ったことがありますが、袋を開封する時のドキドキ感はすごかったですね。
しかも買ったらやっぱり、もったいないから中身を読むじゃないですか。自分では選ばないタイプの話だったのですが、それを読んだことにより、新たな世界がぱっと開けた感じがしました。以来、読書のジャンルの幅が広がったので、私にとってこの謎の本選びは、とても良いことだったと思います。なかなか行われているものではないけれど、またどこかで見かけたら、ぜひチャレンジしてみたいですね。

二度目でわかる手放さない覚悟

さらっと必要な部分だけを読むことが多いビジネス書は、じっくり読む小説よりも手放しにくい傾向があるのだそうです。「まだ読んでないところがあるから、念のためとっておこう」となるのですって。
でも、断言します。『念のため』保存するものはたいてい、再読しません。だってどんな本にしろ、次から次へと出版されていくのですよ。もちろん情報もどんどん更新されます。ストーリーなら古いも新しいもあまりありませんが、ビジネス書に必要なデータなんて、過去のものになってしまったら使えないでしょう。だから、よほど気に入っているか役に立つもの以外、再度手に取ることはないに決まっているのです。
かく言う私は、年に何度か書籍の大掃除をしています。読まなくてもとっておくほどの宝物は別として「これは読むかな?」と迷ったものは、思いきって手放しますよ。書棚のペースは有限ですし、欲しかったらまた買えばいいと考えているからです。お金の無駄と感じるかもしれませんが、実際に買うものはまれなので、ただの断捨離とも言えます。逆に言えば、二度目に手に入れた本は、よほど自分が好きなものだということが明らかなので、もう手放さない覚悟ができるでしょう。

四季の変化を感じたい日々

先日出掛けたついでにコンビニに寄りました。今は各季節、そして各コンビニ、いろいろな商品が売り出されていて面白いですね。夏ならひんやり美味しいアイスの新製品、秋は定番マロンのお菓子、冬には肉まんやおでんなどのあたたかいもの、そして春には卒業や入学をイメージする商品があります。もちろんお中元やお歳暮、ハロウィンにクリスマス、バレンタイン、ホワイトデーなどなど、イベントものも豊富です。
このような移り変わりを見ていますと、日本本来の行事は何だろうと考えたりもします。ちょっと前に、年中行事に関する本を読んだことも関係しているでしょう。残念ながら全部をこなすのは難しいけれど、知識として知りたいなと思って手に取りました。それを見ていると、昔の人は本当に四季を大事にしていたのだなあというのが、とてもよく伝わってきます。そして、手間暇かけて日々を丁寧に生きていたということも、わかりました。
季節の折々、ふと周囲の景色を見やると、気付かぬ間に桜が咲いて散っていたり、紅葉が枯れ葉になっていたりします。もくもくと浮かんでいた入道雲なんて、意識して見たのは何年前かしら。コンビニ商戦で季節を知るのではなく、昔の人のように毎日を大事にしたいと思いました。

見知らぬ誰かに感じる友情

この間友人は初めて、オンラインショップで買った本にレビューをつけたそうです。彼女は「うまく書けるか心配だったけど、その本がとても素晴らしかったから、ぜひ皆に読んでほしくて」と言いました。このような純粋な気持ちで書かれた感想ならば、読者にさぞ好印象を与えるでしょう。
だって私は話を聞いてすぐに、その本が読んでみたくなりましたもの。彼女が思わず初めての行為をしてしまうほど、魅力的な作品ってどんなものでしょう。早速、友人がレビューをつけたサイトで購入し、今は届くのを待っているところです。まだ発送の連絡も来ていないのに、外で車やバイクが止まる音が聞こえる度に、「配達員さんがうちに来たのかもしれない」と、窓を開けて確認してしまいます。せっかちですね。でもそのくらい楽しみだから、しかたありません。
人の視点で語られる感想やおすすめ情報は、他人の感覚を知ることができるので、とても面白いと思います。同じ話を読んでも「感じることってこんなに違うんだ」と思う時もあれば、「私と同じこと考えてる人がいる」と発見する時もあるからです。なかにはぜひお友達になりたいと思うくらい、感覚が似ている人もいるのですよ。そういう時は気持ちが高揚しますね。

双子は運命を分かつ?

頑なに占いを信じない友人がいます。彼女は双子なのですが、妹と同じ運勢になるのが、どうしても納得できないのだそうです。だから誕生日が関わるものは絶対信じず、タロットなどに関しては、受け入れています。こちらは確かに個人ごと、そしてタイミングによっても違った結果が出ますからね。
誕生日を使いものは占術というよりは統計学だという説もありますから、本来ならば、双子は同じような運勢になってもおかしくないのかもしれません。しかし一卵性双生児の彼女達は、姉はとても慎重な性格なのに対し、妹はまるで楽天的で、顔は当然そっくりなのだけれど、雰囲気は全然違います。これで同じ星の下に生まれましたと言われたら、疑問を持っても仕方無いと思えるほどには、差があるのです。
信じるか否かは人次第なので、私は特にどうとは思いません。ただ、彼女のような発想は面白いし画期的だな、と感じただけです。どちらにしろ各々が、人生という先の見えない道を歩いていくことには変わらないでしょう。この世に生を受けた誰もが冒険者……というと、ちょっとかっこよすぎるでしょうか。最近冒険ファンタジーばかり読んでいるので、剣を持ってけもの道を歩く勇者を想像してしまいました。

子供が文字を覚えるふたつの手段

最近の子供は、ゲームで文字を覚えることも増えているようです。保育士をしている友人が言っていました。そういえば皆、小さな頃からスマホを見たり、携帯ゲーム機で遊んだりしていますものね。おそらく最初は絵をメインに見ているけれど、そのうちになんとなく、文字がわかるようになるのでしょう。年上の兄弟と一緒にプレイしているうちに、覚えるのかもしれません。
もちろん、絵本やドリルで、ひらがなやカタカナを学ぶ子もいます。成長段階にある用事が、ゲームの画面を近い距離で見続けると、視力が低下すると考える方は多いですし、外遊びをしなくなって困ると言う親御さんもいますからね。真偽のほどは私にはわかりませんが、ゲーム開始年齢はそれぞれです。
でもどちらにしても、楽しみながら学んで、いつのまにか文字が読めるようになっていたというのが理想でしょう。そういえば私の知り合いの五歳児は電車が好きで、図鑑を見ているうちに、漢字までわかるようになったらしいです。一文字ずつだとわからないけれど、それが繋がって名称になると、すらすら名前を読み上げるのですって。写真や絵を見て「これは○○」と言うのと同じ感覚なのですね。子供の記憶力って、素晴らしいと思います。