その瞬間が宝物

美味しい物を食べて言葉を失うことがありますが、素敵な本を読んでも同じ状態になるのだと、初めて知りました。特に変わったところのない家族が話しているだけのシーンなのに、無言でページを閉じて抱きしめてしまうほど、愛おしいと感じたのです。たぶん自分の精神状態も関係していると考えれば、たとえば一週間後に同じものを見ても、ここまでにはならないかもしれません。でも私にとってあの瞬間は、確かに宝物でした。
たった一瞬がその後ずっと記憶に残る、こんな経験は他にもあります。それは親戚の赤ちゃんが生まれたとき、その子が私の指を握ってくれたことです。この紅葉のように小さな手のひらもいずれ大きくなるのだと考えると、なぜか急に胸が熱くなりました。そうです、このように感極まるときは、いつだって突然なのです。
あの子ももう幼稚園に入り、ずいぶんわんぱく小僧に育ちました。そういえば誕生日が近いから、また絵本を選ばなくては。ゲームはいずれ、勧めなくても手にするでしょうから、彼が興味を示すまではと、絵本を送り続けているのですよ。飛行機が好きなので、図鑑にしようかしら。手頃なものがあるといいのだけれど……今度書店に行って、探してみましょう。

友人と幸せの交換会

先日、「読書が好きな人には本ではなく、しおりを送るべき」という言葉を聞いて、なるほどと思いました。好きなものに情熱を傾けていればいるほど、こだわりは強いですからね。欲しい一冊がわからないかぎりは、楽しい時間をサポートするほうが、心の底から喜んでもらえる可能性が高いでしょう。
そういえば私も、今まで貰ったプレゼントで一番嬉しかったのは、本自体ではなく、自分ではなかなか買えないブックカバーでした。高くて手が出ないというものではないのですが、イタリアの革製でそこそこの価格がするんですよ。金額を見てしまうとつい「カバーを買うお金で、中身の本が買えるよなあ」って思ってしまい、購入に至っていなかったのです。
でもそれを、誕生日に友人が贈ってくれた時のあの喜びと言ったら!貰ってから何年か経ちますが、今でも大事に使っています。あの子の着眼点は、素晴らしかったですね。動物好きなその子の誕生日には、ライオンやトラの赤ちゃんが載っている写真集を送りました。実際にそんな赤ちゃんたちに出会える機会はほとんどないので、喜んでくれましたよ。このことを思い出すたびに、幸せの交換会のようだなあと感じて、また新しく幸せな気持ちになります。

読書だって体力勝負

突然ですが、コアラは一日二十時間を寝て過ごすそうです。まったく羨ましい限りです。ただそれだけベッドに入っているとなると、活動できるのはわずかになってしまいますから、好きな本一冊読むのもやっとでしょう。いいえ、作品によっては、読み切ることが難しいものもあるかもしれません。なにせこの間私は、長編コミックにはまってしまい、六時間くらい読み通しでしたから。
その間に立ったのは、トイレと、座りすぎて腰やお尻が痛くなったときに、部屋を一周するくらいです。ただ室内を歩くときは、本は持っていたのですけれどね。そうやってちょっと気を遣っていても、読み終えたときは肩はがちがち、目はちかちかになっていました。コアラと同じだけ布団とお友達をしていたら、こんな生活はできませんね。
でも私よりももっとすごい友人がいるのですよ。彼女は話の先が気になるあまり、電子書籍でついどんどん先を買っていたら、最終的には徹夜していたそうです。カーテンの隙間から明るい光が差し込んできたときに「しまった」と思ったのですって。ちなみにその日は仕事だったというのですから、さぞ大変だったことでしょう。読書にも体力が必要なこともあるとわかった出来事でした。

狭い部屋、書斎の夢を見る私

最近ストレスが溜まっているのか、つい大量に本を買ってしまいます。友人の中には、同じ状況で暴飲暴食をしてしまい、大変な思いをしている人もいるので、それよりは健康的でしょうか。しかし積読が溜まっていくのは、書棚のスペース的には死活問題だったりもします。未読の小説が一段を埋めているのですよ。焦ったところで読書スピードはそう変わらないので、もうあきらめてはいますが……まったく、昔から困った癖です。
ただもし私がもっと広い部屋に住んでいたら、これだけ未読の作品があれば、ずいぶん幸せでしょうね。まだ知らない世界がたくさんあって、今読んだら次はどうしようと悩まずにすむからです。本の虫の私にとって、手元にある作品の後、なにを手にとったらいいかわからないという状態ほど、悲しいことはありません。読書好きの方なら、きっとわかってもらえると思います。
友人のように、自宅に書斎を作れたら幸福でしょうね……大家族がいつしか人数が減っていき、開いた部屋に書棚を詰めているのですって。いつもしっかりカーテンを閉めているので、本が日焼けすることもなく、安心して保管できると言っていました。まったく羨ましい限りです。私の書斎は、いつかできることがあるのでしょうか。

それぞれの家庭にあるドラマ

この間、植樹の作業をしている方にお会いしました。お仕事ではなく、自分の家の庭に木を植えていたのですが、ずいぶん高齢に見えたその方は「私が生きている間には、この木は小さいままだけど、孫が見上げてくれればいい」と言っていました。自分は孫の成長を見守ることはできないから、この木にその役目を託すのですって。なんとも素敵な話ですね。
もちろん、庭に木を植える理由はいろいろあるでしょう。でもこれを知って以来、私はどの家庭にもそれぞれドラマがあるのだなあと思うようになりました。小説や漫画になるほどドラマチックではないかもしれないけれど、皆確かに、生きています。各家庭によって、心和むストーリーがあったり、波乱万丈な人生があったりするのです。そう考えると、これまではたいして気にもとめてこなかったご近所さんに、いっきに興味がわきました。
ただいきなり、根掘り葉掘り聞くわけにはいきませんし、話を聞くために仲良くなるのもおかしな話です。だから私は、気になるような可愛い家を見つけたり、美しい庭を発見したりした時は、その様子から見ず知らずの家庭のイメージを想像しています。知っている人相手では失礼でも、物から考えるのであれば問題はないでしょう。

読書一年巡り

不意に、私がいわゆる文豪と呼ばれる人達の作品を手に取るのは、夏が多いなあと思いました。各出版社で、夏のなんとかフェア、みたいのをやっているので目について、というパターンですね。平台にずらっと並べられた文庫は、実際は昨年度とあまり違わなかったりするけれど、つい一冊ごとしっかり見てしまいます。
自分がこれまでに縁のなかった漫画を選ぶのは、秋が多い気がします。だんだんと寒くなってくると、布団の中で読書をする機会が増え、それにはさらっと読める漫画が便利だからです。単に布団の誘惑に負けてしまうので、小説を読み切るまで起きているのが難しいという状況もあります。
漫画でも小説でも、長編シリーズに手を出すのはお正月ですね。あの時期は、準備はかなり忙しいけれど、三が日はそうでもありませんから、宴会をしている親戚にちょっと付き合ったら、あとは部屋に引っ込んで読書をするのです。お正月以外の冬の時期は、こたつに入り込むと出るのが嫌になり、外出もおっくうなので、とりあえず天板に積み上げて、なんでも読みます。
こうしてまとめてみると、私は一年中本とともに生活しているなあと実感しました。なんて素晴らしい読書人生!これからも続けていきたいです。

素敵な青空図書館

先日テレビで、外国の公園にある図書館が話題になっていました。大きな芝生のある広い公園の片隅に、屋台みたいなものがあり、そこで本を貸してくれるのです。ただ読むのは園内限定。書籍は持ち帰りはできず、身分証明書と引き換えです。読み終え本を返しに行けば、身分証を返してもらえるということですね。こうしないと、返ってこないことがあるということなのでしょう。
それにしても、青空の下で読書ができるなんて、とても素敵なことだと思います。白い紙面を見ていると太陽の光を反射して、目がちかちかするのがちょっと難点ですが、休憩しながらなら大丈夫でしょう。日差し温かな春、紅葉鮮やかな秋……もちろん、暑い夏に木陰で読むのもいいですし、寒い冬にコーヒーを片手に楽しむのもいいですね。
もしかしたら同じようなシステムが、国内にもあるかもしれませんが、私の住んでいる近くにはないので、真似をしたかったら家から本を持って、公園に赴くほかはありません。そんな時に読む作品は何がいいかしら。すれ違いがじれったいけれど純愛に心ときめく恋愛小説か、それとも次々に敵を退治し旅する冒険物語か、ほのぼの家族のストーリーか。考えるだけでも楽しいですね。

楽しいことが二割だとしても

先日、イラストレーターをしている友人が「目薬は手放せない」と言っていました。長時間パソコンの画面を見続けるから、どうしても目が乾いてしまうのですって。今は執筆も漫画を描くのもコンピューターを使っている人が多いですから、作家さんにも、同じ症状で苦労している方がいるかもしれませんね。
瞬きをたくさんするようにするとか、専用の目薬をさすとかいろいろあるようですが、集中していると忘れてしまうそうで、なかなか大変みたいです。肩こりや腰痛と一緒で、職業病と言うべきものなのでしょう。クリエーターの方はブログやSNSでも、このような大変なことは表に出さず、いつも明るく楽しい話ばかりをしてくれている方が多いので、すごいなあと思います。
そういえば以前どこかで見たのですが、有名なブロガーの方は、一日の八割が大変だとしても、残り二割の楽しいことだけをブログに書くと決めているそうです。辛い話なんて面白くないからだと言っていました。作家さんや漫画家さんも同じかもしれませんね。そう考えると、素顔を公表していない方が多いとはいえ、彼らもまた見られる立場の人間なのだなあと思いました。大好きなクリエーターの方々、いつも元気をくださって、ありがとうございます。

読書に大切なのは、読みたい気持ち

この間オンラインショップから届いた本を、まだ開封することができません。積読がたくさんあるから順番待ちをしているというわけではないのですよ。期待が大きすぎて、実際に見るのが怖いのです。それに「自分はこの話を読むのにふさわしい人だろうか」と思ってしまうというのもあります。もちろん、読書をするのに「その作品が読みたい」という以上の条件などないということは、わかっているのですよ。
ただ私はいつも、この素晴らしい話を読むより前に、やるべきことあるのではないか、と考えてしまうのです。そして結局流行りを過ぎた頃になってやっと目を通し「もっと早くに読んでおけばよかった」と後悔します。そうすれば、もっと皆と一緒に盛り上がれたのに、ということですね。自分がその話に相応しい価値があるかどうかなんて、誰も求めていないというのに……自意識の問題でしょうか。
でも何度もそれを繰り返しているということは、これが私の性分なのでしょう。しかたありません。あとは自信を持って「私は頑張っているのだから、読書くらい自由にしてもいいのだ」と言いきれるように、日々の生活において努力するだけですね。一番難しいけれど、一番自分の身になるとは思います。

十人十色のスケジュール帳

読書が好きな友達は文字に慣れているからか、スケジュール帳にこだわりを持っている人が多いです。1日1ページ使うタイプのものに、予定も日記も全部書きこむ子や、見開き二週間のタイプに、予定と実際の行動を書いている子、ほかには自分でスタンプやシールを使って手作りしている友人もいます。見せてもらうと、十人十色で面白いですよ。
中でも一番目を引いたのが、欲しい本の発売日を付箋に書いて、貼りつけていた手帳でした。ちゃんと買ったら付箋をはがすらしいのですが、マンスリーなのに本の予定一色って、どういうことなのと笑ってしまいましたよ。でも、それほど楽しみにしているという気持ちはよくわかります。私もかつては一覧にして、メモを持っていましたからね。今は卓上カレンダーに書きこんで、毎日眺めてウキウキしています。
電子書籍が普及して、クリックひとつで作品が買える時代になっても、そうしない人もいるという当たり前のことが、とても嬉しく感じました。もちろんどちらがいいということはないのだけれど、昔からあるものが肯定されているようで、それが良かったのかもしれません。私も彼女を真似て、スケジュール帳いっぱいに楽しい予定を書きこんでみようかしら。