いつだったか、知人に「子供が本を読まないんだけど、どうしたらいいか」という相談をされたことがあります。小さなころからゲームに夢中で、読書は学校の教科書を渋々、でも音読はつっかえてしまって、とても苦手なのですって。
正直を言えば、私は子供の頃から書籍に触れていましたので、読みたくない人の気持ちが想像できません。だから適切なアドバイスかはわからなかったのですが、「好きな作品を読ませたらいいんじゃないか」と伝えました。ゲームが好きなら攻略本でも、関係する記事が載っている雑誌でもいいと思うのです。
もちろん親としては、古典や名作などを読んでほしいと考えるでしょう。ですが内容に興味がないものを読むとなれば、大人だって苦痛なはず。それよりはまず、文字に親しむことが大事ではないでしょうか。それに最近の、分厚い攻略本を読むのは、子供の方も気合がいるでしょう。完全読破ではなく、必要なところだけに目を通すのだとしても、です。
それでも、好きなことならば理解しようと思うのが人の常。好きなものが入口になって、いつか読書に抵抗がなくなれば、それが一番スムーズな方法でしょう。名作など、いつになっても図書館にありますから、興味を持ってからで十分なんです。
一冊と一曲の価値
最近、懐かしいアーティストの曲を聞いています。自室でひとり、目を閉じて、どこか哀愁漂うメロディと歌声に耳を傾けていると、歌詞が映像となって頭の中に浮かび、とても切ない気持ちになるのですよ。ですが、それはけして不幸なことではありません。今はもう遠くなってしまった初恋を思いだすような、手を伸ばしても届かない光を追い求めるような、そんな感じで、希望を見いだし、心がときめきもするからです。
今まで、音楽に夢中になることは、あまりありませんでした。しかし今は、時として、一曲の楽曲は、小説一冊にも匹敵する感動を与えてくれると思っています。どちらのほうが作る手間がかかるのか、それはわかりません。もちろん価値は、人それぞれでもあるでしょう。ただ私は、その両者の中から、自分が感じるものを胸に留めおくだけです。
これまでに見知った感情、そして今後も経験することができないだろう物事。芸術作品は、多くのことを私に教えてくれます。たくさんのアーティストや作家がいる中で、お気に入りの方に出会えるかといえば、最早縁としか言えませんが、私は、ファンの一人として、そのご縁と与えられる感動を、今後も大切にして行きたいと思っています。
幸せ色に染まる本
オンラインショップで注文していた本が届いたときのこと。事前に書影を見ていたのに、封筒を開封した直後「かわいい!」と叫んでしまいました。写真と実際に見るのとは、臨場感が違いますよね。イラストに関わるものということで、全編カラー、写真も満載!しかし読みどころもたっぷりです。これは知識のためももちろんですが、ちょっと落ち込んだときとかに見たら、元気になれるのではないかしら。
このように、読んでいる最中から幸せ一色になれる本というのは、案外少ないと思います。冒険ものだとハラハラしてしまうし、恋愛ものだとドキドキもするでしょう。コメディは大爆笑ですね。もちろんどれも読了後は幸せなのですが、読書中は、幸せというよりは、心が内容色に染まるんです小さな男の子たちがヒーローを真似して武器を振るうのも、女の子たちがプリンセスになりたくてお洒落をするのも、気持ちがわかりますね。
私はもう大人ですが「気持ちがわかるのは、子供っぽいのではなく純粋だから」で、「それだけ夢中になれるのはすばらしいことなんだ」と自分に言い聞かせ、今後も私なりの読書ライフを楽しんでいきたいと思います。さて次は、友人から勧められたサスペンスを読みましょうか。
旅の荷物は最小限に
もうかなり昔の話ですが、有名な作家さんが旅行をする時の荷物について話している記事を読んだことがあります。その人は当然のごとく読書家で、道中に読む一冊の他に、それを読み終えてしまった時の一冊、計二冊の本を、常に鞄に入れていたのだそうです。なんでも予備がないと落ち着かなくて、最善と思われる準備をするので、荷物はすごい量になっていたのだとか。
それがある時から急に、いつも使っているバックひとつでも平気というくらいになったのだそうです。本はなくても困らないし、着替えだってとりあえず下着があればなんとかなる、そんな思いに至るには、どんな経験をしたのでしょうね。そこが肝心なところなのに、残念ながら覚えていません
以前自転車で旅をしていた人達は、すべてのものを小さなポーチに収めていたけれど、あれはたくさんの荷物を持って行けないからだとわかるのですけどね。ホテルのお風呂で毎日洗濯をして、乾かない時は生乾きのまま着ていたそうです。しかし彼らは、本ではなく地図は持っていましたよ。カーナビもない自転車の旅には、必須のものなのでしょう。鞄が大きくてもいけないわけではないですが、慣れている様子が格好いいなと思いました。
子供の力、親の望み
とある日曜日ぼんやりテレビを見ていたら、子供向けの特撮やアニメ番組が連続する時間に突入しました。その日は偶然見ただけなので、内容はほとんどわからないのですが、あれは気持ちを明るくしてくれますね。基本的に主人公が元気でいい子なので、それが心地良いのです。
しかしそれを幼稚園児を子育て中の知人に言うと、彼は「画面の中で賑やかなのはいいけど、それを見ている子はもっと元気なんだよ……」と少々ため息交じりに言いました。曰く、仕事で疲れているのでゆっくり休んでいたいところを、早い時間から「パパ、テレビ見ようよ、起きて!」と揺り起こされるのだそうです。まだ寝ていたい旨を訴えても、相手は幼児、なかなかわかってくれません。私は休日でも起きる時間は同じですし、子供はそんなものと考え、半ば当たり前のものとして受け入れていましたが、お父さんという立場にとっては、そういうものですよね。
暑くても寒くても、子供は元気に公園遊びをねだります。美味しいおやつや、面白いテレビでご機嫌になって、最後はこてんと眠りに落ちて。私も昔はそうだったのでしょう。早く大きくなってほしいけれど、成長し「ママ、パパ」と懐かくなるのは悲しいところ。そんな話をかつて母に聞いたことを思いだしました。
口を開いて、お財布さん
今久々に、書店に行きたい欲が膨らんでいます。それもいつも通っているところではなく、始めていく広いところがいいですね。どこになにがあるのかわからなくて、迷うくらいであれば、特定のジャンルにこだわらず、すべてを眺めることができそうです。
それというのも、いつものお店だと、もう棚の配置がわかっているので、ついお気に入りのコーナーばかり見てしまうんですよ。でもたまには刺激が欲しいというか、新しいものにも触れたいのですよね。
ただこの希望を叶えるためには、事前にお財布を説得させることが、最重要課題です。たいてい相談しても、あっさり口を開いてもらえませんからね。お財布さんは「欲しいのは別れるけれど、節約しなさい」とばかり、ぎゅっと口を閉じたきり。でも最近は私も頑張っていたから、たまには許してほしいところです。
このように擬人化して考えると、ちょっと厳しい状況でもなんだか楽しくなってきます。そういうわけで、書店に出発する日程を決めましょう。今まで必要最低限におさめていたのだから、本当に、今回くらいは弾けたいのです。とりあえず、気になる本のリストを作って、あとは一期一会の出会いにお任せします。もちろん、お財布に補充も忘れずにね。
魔法少女への夢
だいぶ前の話ですが、子供向けの絵本で、いろいろな職業に従事する方のタイムスケジュールを見たことがあります。私達が子供の頃にはこのようなものは見られたかしら、と思いつつ、どの仕事も大変なのだなあ、と思いましたね。もちろんそれには、仕事の内容やどのような人が向いているか、実際その職に就くためにはどのような勉強をしたらいいのか、ということも書かれていました。こういったことを小さな時から知ることができれば、みんな夢を持ちやすいでしょう。
ただ、それは少々大きくなってからのことです。先日知り合いの幼稚園児の子に「大人になったら何になりたい?」と聞いたら、彼が大好きなヒーローの名前が出てきました。あと何年、そんなことを言うのかしらと、実に微笑ましかったですね。私も昔は、魔法少女に憧れたものです。
そのような時期を経て、人は成長していきます。ともすれば、途中で目標を変えることもあるでしょう。しかしながら、ヒーローになりたいという気持ちは、心の奥底にしっかり残っているものなのではないでしょうか。私は魔法少女にはなれなかったけれど、今も知り合いの子供と一緒にステッキの玩具で遊び、ファンタジー小説を愛読しています。そして、大切な人の笑顔を守りたいと思っています。
歴史を超えた訳の新旧
先日、歴史の教科書で名前を見た人が小説を書いていたことを知り、たいそう驚きました。何回も出版を重ねて現代にまで残っていることが、まるで魔法みたいだと思いもしましたね。そして実際に読んでみれば、文章の中には、当時の生活や空気、活気が感じられて、今とはまるで違う雰囲気だからこそ、それがとても魅力的でした。
たとえば、今出版されている本の中で描かれている現代も、この後いつかは、遠い過去になるのでしょうか。何十年か後には、どこかの漫画のように、ロボットが主導を握る世の中になっていたりするのかも知れません。それとももしかしたらまるで変わらなかったりして。考えるとしても面白いですね。私の大好きなファンタジーのようです。
ただ古い作品は日本のものですと仮名遣いが難しく、外国のものですと翻訳が読みにくいことがあります。これも時代の問題なのでしょうか。理由はわかりませんが、だからこそ新訳が販売されるんですね。そしていわゆる現代っ子たちは、新しいものを求めるようです。親せきの子も、わざわざ最新版を探していました。ただ図書館に置いてあるものは、ずっと以前の古いものが多いそうです。私などは、そちらを懐かしいと思ってしまいます。
優しい店主のいる古書店
看板猫のいる古書店に行ってきました。もちろん猫は店内をうろついてはいませんよ。入口付近、レジ横のベッドの中で、ひたすらに眠っているのです。私がもっと若かったころから、もうかなりの年月ここにいますから、けっこうなおじいちゃん猫でしょう。店主の女性は「こうやって大人しくしてくれているから、ここに連れてこられるんだよ」と言っていました。ちなみにこのお店は、店主高齢のため、もうじき閉店することになるのだそうです。ある意味、ここまで続いたことが奇跡だったのでしょう。
彼女は長年の仕事に満足しておられたようですが、私はやはり、寂しかったですね。ですが、悩んだ末に出したであろう結論を、どうすることもできません。私は、せめてその終わりの日までは、通い続けようと決心するくらいが精一杯でした。
始まりがあれば、終わりがあるのは当然のことと、受け入れるしかありません。せめて天使と猫ちゃんが、ここを卒業した後も、幸福でありますように。日の当たる部屋でのんびり過ごせたら、最高ですね。私はここでいままでに買い集めた本を、思い出とともに、大切にしていこうと思います。絵本に小説、雑誌に漫画。お小遣いの少なかった頃は、この古書手には、ずいぶん楽しい思いをさせてもらったものです。
本の表紙の重要性
小説はいつも、カバーをかけて読んでいます。読了するとそれを外すのですが、たいていは、この本はこんな表紙だったのか、と驚きますね。長年間に、何度も読み直して愛読したもの以外、どんなデザインだったか忘れてしまっているからです。今回読み終えたものも同じ感想を抱きました。しかし同時に、内容のイメージが凝縮されていることに、関心もしたのですよ。話を知っているからこそわかる感動というのでしょうか。
それを書棚に並べて背表紙を見たときは、とても安心します。これでやっとこの本を全部読み終えた、このストーリーを、胸に置いておくことができる、と思うのです。店頭で購入する時のみならず、手に入れた後もこうして目を引き付けるなんて、表紙ってすごい。カバーをつけるのが日常になるまで、まったく気がつきませんでした。
おかげで今は、本棚を眺めるのが半ば趣味のようになっています。内容を思い出し、読んでいた時の気持ちに再度触れて、どきどきするんです。自分は単純だなと思いつつ、この幸せを満喫しています。何せ、新刊を買う必要がないので、お金もかからずお手軽なんです。次に素敵な出会いもするまでは、しばらく、書棚を眺めて楽しんでいようと思います。