どうせできないからなんて思わないようにする

最近、何だかふと思いついて小説を書いています。と言っても、最後まで書き上げる自信も無いし、面白い話を書ける自信も無いんですけど。今までも何回か小説を書こうとしたことがあったんです。特に、学生時代には何度も何度も挑戦してました。でも、結局起承転結の「起」すらも書ききれないまま終わってしまったんですよね。物語を書くって、すごく簡単そうなイメージがあったんですけど、物語を通じて何かを伝えないといけないって思ったら何を伝えたいのかがわからなくて。自分が伝えたいことがあって書くのであればいくらでもかけるんだろうけど、物語を書きたいだけだから伝えたいことって言われてもなかなか思い浮かばなくて。それで結局何もかけないで終わってたんですけど、今までの自分を振り返って見て、他に何か一つでもやり遂げたことあるのかなって思ったらものすごくつまらない気がしたんです。どうせ何か一つやり遂げられるなら自分が好きなことがいいなって。それで、今とりあえず物語りを最後まで書いてみようと思ってます。何も伝えられなくても、ぐちゃぐちゃでもいいから書いてみようと思います。途中で飽きないようにするのが目標です。がんばって書き上げたら、誰に読んでもらおうかな。

ゾンビと香水

最近読んだ小説の中で、生きているフリをしているゾンビが、体臭を誤魔化すためにいつもたくさんの香水をつけている…という設定がありました。身体があがってくる腐ったにおいなんかを誤魔化すためですね。実際、登場人物のほとんどは、それに騙されていて、彼女がゾンビだということに気づかないでいたのです。その後の物語の展開では、簡単にばれていってしまうのですが…現実的なことを考えるのは無粋かもしれませんが、身体のにおいを完全に隠せてしまうくらいの香水の量って、相当だと思ったんです…。香水のにおいが苦手な人って、物語の中でも、現実世界でも、結構いますよね。特定のにおいがだめとか。ほのかだったらいいけど、たくさんかけられるのは…という人も多いです。ぷんぷんにおって、周囲の人の気分が悪くなってしまうような量を付けている人って、やはりたまにいます。満員電車の中で、どう考えてもつけすぎな香水のにおいをかいでしまうと、そこまで苦手でもない私ですが、いくらか嫌な気持ちになったりもしますし、そういう人に対して、大抵の人が「程度がある」「マナーがなっていない」という気持ちを抱いたりしているようです。この小説の人は、そういう感想からは無縁の人だったのでしょうか…?

多様なメディアミックス

小説やマンガには、ドラマ化やアニメ化、映画化など、映像化の可能性がありますよね。メディアミックスって、媒体をかえてその物語がどんな風に映えていくのかが楽しみなので、基本的になんでも手を出してしまいます。映画やアニメを、逆にコミカライズ、ノベライズにするのも楽しいです。もちろん、ストーリーや設定、世界観によって、合うのと合わないのはあるんですけどね。役者さんや声優さんがイメージと違う…って、最近ではインターネット上で論争になったりもしています。私自身、「これはちょっと思っていたのと違うな…」ということはあるんですが、それはそれだと思って、新生バージョンを楽しむ気持ちでいるのがいいなと思っています。癪なことも結構多くなってしまうのは、原作を知らない人に、新しい解釈が本家だと思われてしまうのが嫌だということくらいなんです。ラジオドラマやドラマCDなども好きです。音だけで物語を伝えるのって、映像のような手間がかからないと思われがちでも、実はかなり工夫が必要ですよね。説明口調ばかりになってしまってもいけないし、BGMと効果音のバランスも難しいし…演技の幅も、声だけということでなかなか大変だと思います。大好きなメディアミックスのひとつです。

原作者、ゲスト役者

「妖怪大戦争」という映画の中で、企画者としてストーリーにかなり助力をした宮部みゆきさんが、学校の先生として出演しているんですよね。初めてそのことを聞いたとき、「あの人が宮部さんなんだ!」とびっくりしたような、感動したような不思議な気持ちになりました。自分が作り出していく物語にゲスト出演するのって、一体どんな感覚なんでしょう。宮部さんの場合は、完全自分の原作というわけではありませんでしたが、小説家であれマンガ家であれ、その人物が役者として登場している作品って多いですよね。アニメでも、ゲスト声優として参加しているのが原作者~なんて、よく聞くと思います。もちろん、プロの役者さんではないのですが、「えっ、この人作者さんなの?」とびっくりするくらい上手な人もいて、天が二物も与えたのだな~と感心してしまうことも多いです。いつも自分がつくっている世界の中に、ほんの少し足を踏み入れたような感覚になるのでしょうか。それとも、製作の現場に入って、現実感を味わっているのでしょうか。どちらにしても、観ている方としては、かなり不思議な気持ちと同時に、やっぱりどこかで関わっているんだという嬉しい気持ちもまざっていたりします。

日本文学を読む

大学時代に受けていた近現代文学の授業で、毎週、指定された本の論点を書いて提出するというものがありました。指定される本は、夏目漱石、森鴎外、などの近現代の作家のもの。最初は、本が読める授業なんて面白そうと軽い気持ちで受け始めたのですが、これがもう、ものすごく大変な授業なのでした。1週間で1冊本を読んで、レポート。その1冊というのも、普段読み慣れていない堅い言葉の小説。読むだけでも悪戦苦闘・・。この時代の人たちって、どうしてこんなに苦悩を抱えているんだ??と疑問に思うことしきり。さらに論点を書くというのも、なかなか難しいもの。最初のレポートで感想を書いて提出したら、先生からしっかり赤ペンで「感想は書かない!」と直されました。
課題をこなしていくうちに、本の読み方が少し変わっていったのを覚えています。読んでいる段階から、問題意識を持ちながら、「なんでこの主人公はこんな行動をしたのだろう」とか、「このセリフは裏にこんな意味があるんじゃないか」ということを考えるようになったのです。レポートを提出した次の週には、みんながどんなところに物語の論点をとらえていたのか、話し合います。この繰り返しで、1年間、かなり鍛えられたような気がします。文学を読む面白さを知ったのもこの授業でした。

母の本棚

実家に帰ると、必ず母の本棚を見に行きます。茶色の大きな本棚に、私の本が3分の1、妹の本が3分の1、そして母の本が残りの3分の1。読み終わるとすぐに古本屋に売ってしまう母の本は、あまり多くはありません。置いてあるのは、林真理子、向田邦子、小川洋子、などなど女性作家の本が多く、その他に圧倒的な量の猫の本。「猫びより」などの雑誌のバックナンバーから、猫の写真集、それからありとあらゆる猫とタイトルに入っている小説。かなりの猫好きです。
猫タイトルの本はいろいろあります。町田康さんの『猫にかまけて』、群ようこさんの『トラちゃん』、などの猫エッセイは王道で、若竹七海さんの『猫島ハウスの騒動』、柴田よしきさんの『猫探偵正太郎の冒険』などの猫ミステリー。タイトルには入っていませんが、ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』などのSF小説。この本は、内容というよりもおそらく表紙に猫の後ろ姿のイラストが入っているから買ったのでしょう。
母の本棚を見ると、ずらっと並ぶ「猫」の文字に、ときどき目がチカチカするのですが、毎回新しい本が入っていて、それを探すのが面白いのです。猫の本って、こんなにたくさん出ているんだ、と嬉しい驚きがあります。