迷った心が道を見つける時

もし自分の人生や将来に不安を感じたら、どうするでしょう。私はこの間までずっと、自己啓発本を読んできました。だからその手の本は、棚に一杯並んでいます。しかしその背表紙を見ても、内容がさっぱり思いだせないものもあるのですよね。しっかり読んでいないわけではありません。結局他人の意見は、その人独自のものでしかないからです。
そう気づいた時、私は自己啓発はやめました。それよりも小説や漫画を読んだり映画を見たりして、憧れの人を作るほうがずっと心の支えになるのです。あの人のように生きたい、あの人に恥じない暮らしをしたい、と思うと、自然に背筋が伸びるでしょう?少なくとも、私はそうでした。しかもその方が、ずっと心に残るのですよ。
もちろん、元気になる方法は人それぞれなので、自分にとって一番負担にならなくて、効果があるものを選べばいいと思います。ただうまくいかないで悩んでいる人は、小説や漫画を読んでみるのもありだぞ、と教えてあげたいですね。家にある作品を再読するのだっていいでしょう。読む時期が違えば、新しいことを見つけられるものです。心を震わせるために、小説や漫画などの創作物は、存在しているのだと確信しています。

動物の癒し効果は本でも十分

最近、動物の飼い主エッセイのような漫画ばかり、続けて読んでいます。犬や猫はほんと自由でかわいくて、面白いですよね。たいていどの子も夢中になるものは同じもの、おやつやおもちゃなんですが、やっぱりそれぞれ性格が違うので、個性があるんだなあと思いました。そう言えば私の知人の愛犬は、臆病で、自宅近所の橋が渡れないんですって。足元が金網になっていて、下が見えるからというのですが……そんな子に会ったのは、初めてでした。
動物エッセイだと、そういうちょっと変わったことがフォーカスされていますから、それも面白いと感じる理由でしょう。あとは当然、絵が可愛いです。リアリティのない犬や猫は、ぬいぐるみのような愛らしさで、内容も相まって、和みと癒しを与えてくれます。日常生活でささくれてしまった心を、ほっと包み込んでくれるのです。
はらはらどきどきする作品は、心が元気ではないと、なかなか読む勇気がわいてきません。でも動物エッセイは、楽しい時も落ち込んでいる時も、病気で弱っている時でも、いつでも読めます。いつも私の傍にいて、それこそペットのように寄り添ってくれるのです。ぬいぐるみを抱えながら、私は今後も、これらの作品を読み続けていくのでしょうね。

夢を叶える泊まれる図書館

泊まれる図書館という言葉を聞いて、心がときめいています。本に囲まれた生活、一日中、他のことは考えずに読書三昧というのは、本好きな人にとっては憧れですよね。そういえば先日、作家さんの仕事部屋を見る機会がったのですが、すごかったですよ。その方の部屋は、周囲にぐるりと書棚があるんです。もちろん中にはびっしりと、自著や資料らしきものが詰まっています。好きこそものの上手なれということわざがありますが、まさにそれを地でいっているのだろうな、と感じました。
私も本に囲まれていたら、作家さんたちのように、なにか素晴らしい発想が生まれるかしら。思ったけれど、様々なストーリーに夢を刺激され、心が癒されるだけでも十分素敵なことですよね。なかなかの人気で、予約はだいぶ先まで埋まっていると聞きますが、いつか機会があったらぜひ、泊まれる図書館に行ってみたいです。
でもそこまでの道のりにも、愛読書は持参するんだろうな、と想像しています。鞄の中にはいつも一冊、遠出する時は二冊。タブレットやスマホで多くの文章が読めるようになった今でも、昔からの習慣は変わりません。「だからあなたは鞄が重いんだよ」と、親しい人にはよく笑われています。

情熱は時を超えても色あせない

この間、アンティークの植物図鑑というものを始めて見ました。写真のない時代なので、中身は全部イラストです。ああいうのを、ボタニカルアートというのでしょうね。細かく丁寧に描かれたイラストは、図鑑の内容というよりは一枚の絵画のようで、それは美しいものでした。いったいどんな繊細な方が、これを描いていたのでしょう。生きる時代が違うので逢うことは叶いませんが、夢膨らませて想像してしまいます。
同時に素晴らしいのは、この図鑑をここまで見事な保存状態で管理していた、持ち主の方です。だってゆうに百年は、この世に存在していたのですよ。もし置いてある場所が悪ければ、カビが生えたり色あせたりしていても、不思議はありません。それがあの見事な発色……。専門的なことはわかりませんが、持ち主さんの愛情は、確かに感じ取れたと思います。
本を愛する人の想いは、いつの時代でも、変わらずそこにあり続けるのでしょう。曰く、素晴らしい作品は、どうあっても後世に残したいという情熱です。今は電子機器が発達し、データを残すのはそれほど難しくはないけれども、当時の人にとっては大変なことだったでしょうに……本当に、芸術を大切にするその心意気には、頭が下がります。

ダーリン一冊、持ち帰り

この間、久しぶりに大きな書店を訪れました。欲しい本はなんでもインターネットで買えますが、そのときは目的のものがあったというよりは、ただたくさんの表紙を見て、気分転換したかったのです。広い店内を適当にぶらぶらと歩き、気になったものを手に取って立ち読みして、疲れたら近くのカフェでひと休み。その間に、さっき見た本を購入しようか考えて、結局最後には、それを持ってレジに並びました。まさに理想通り、素敵な休日です。
自宅に帰って、買った本を袋から取り出すと、なんか急に、それが「自分の物」になった実感がわきました。ただそれは同時に、どきどきときめく気持ちが薄れてしまうことでもあります。内容は楽しみなのですよ。でも新しいものを手に入れて感動が、もっとほっこりしたものになるというか……なかなかうまく表現できませんが、そんな感じなのです。
その後はちょっと忙しかったので、ページをめくることができたのは就寝間際になりました。しかしここで読み始めてしまうと、寝不足確定。とりあえず開いただけですぐ閉じて、読書は翌日までお預けです。しっかり眠って体力を蓄えて。その方が内容もちゃんと読み込めますからね。読書にだって、健康第一なのです。

かけがえのない宝物

先日夜遅く「どうしてもあの本が読みたい!」と唐突に思いました。ですが、その題名も作者も思いだせません。記憶にあるのは、ストーリーと表紙のデザイン、そして友人に貸したということのみです。すぐにでも連絡をして聞きたかったけれど、さすがに夜更けは失礼と思い、我慢して布団に入り、翌朝、さっそく彼女に連絡を取りました。
相変わらず題名などは思いだせていなかったので「私が貸してる本、読みたいんだけど」と言ってみると「ああ、ちょうどそっちに行く用事があるから、ついでに返しに行くよ」とのこと。なんて幸運なんでしょう。題がわかれば、昨日の内に電子書籍で買ってしまっていたでしょうね。そのくらいすぐにでも、読みたかったんです。
このように「どうしても今、この作品じゃなくちゃ嫌だ」という時ってありますよね。そういう時は、他にも読んでない物や、面白い話はいくらもあるのに、ぜったいにそれでなくてはダメなんです。代理が聞かないという意味で、まるで家族のように親密な存在だなあと思ったりもします。本というのは私にとってそれほど親密で、大切なものだということでもあるでしょう。代えがきかないものは、ずっとずっと、大事にしていかなくてはなりませんね。

新装版で安心読書

友人が、お気に入りの漫画が再販されたと喜んでいました。昔のバージョンも持っているのだけれど、何度も読んできたから、もうぼろぼろになってしまったんですって。そこに新装版の販売ですから、それは嬉しいでしょう。今度からはページをめくっても壊れる心配のないこちらを、読み込んでいくと言っていましたよ。
正直に言えば、内容が変わらない新装版は、すでに古い作品を知っている読者にとって、あまり目新しいところはないわけです。「同じの持ってるから、今回は買わないでおこう」という人も多いでしょう。しかし私も友人同様、つい購入してしまうのですよね。昔のは日焼けしちゃってるし……表紙の絵が違うし、などなど、もちろん自分なりの理由はつけますよ。そして新しいのを買ったところで、古い物も手放しません。結果、書棚には同じ題名のものが二冊並ぶことになります。
私は友人のお気に入りを持っていないので、この機会にぜひ購入しようと思っています。面白いとは聞いていたけれど絶版で、どうしようもなかったのです。続々と出版されるらしいから楽しみだなあ。しばらくの間は、これを楽しみに日々の生活を頑張っていきましょう。欲しいものがあれば、何をやるにも俄然力が沸いてきます。

ビーズが繋ぐ娘との時間

知り合いが嬉しそうに話してくれたのですが、娘さんが、ビーズアクセサリーを作ってくれたそうです。彼女はもともと、手作業大好きで、ビーズの本もたくさん持っています。しかし娘さんは今まで、その作り方を見ただけで「こんなの作れない」と難色を示していたのだとか。でもその日はとてもやる気になって、数時間も集中作業。そして完成品とともに、「ママに早めの誕生日プレゼント」って言ってくれたのですって。これは親として、とっても嬉しいことですよね!
ただ残念ながら、初めて作ったアクセサリーはちょっと止めかたが弱かったらしく、数日毎日つけていたら、根元からばらばらになってしまったのだとか……。作り方に書かれている通りにやっても、こうした事はある物です。でも知り合いは、大事なのは、これを作ってくれたという愛情、と言っていました。今はこっそり作り直して、使っているそうです。
嘘をつくのは本当はいけないことだけど、相手を優しく包み込む場合は、ありですよね。今度からは一緒に、ビーズ雑誌を読めるかも、と満面の笑みを見せていました。ということは、私は彼女に、手作りアクセサリーの本をプレゼントするのがいいでしょうか。さっそく書店に行ってきます。

本、ときどき破壊神

この間友人が、映画のパンフレットをごっそり手放したと言っていました。作品を見た記念にと、映画館に行くたびに購入していたようなのですが、いい加減押入れの底が抜けそうになってきたから、売りに出したのだそうです。あれは公開時にしか販売されませんから、あとからその作品を知った人やファンの方にとっては、嬉しいものでしょうね。かくいう私も、DVDになってから知った作品のパンフレットを、探しまわったことがあります。
しかし、押入れの底が抜けるって、どれほどの重さなのでしょう。友人は「古い家だから、もともと壊れかかっていたんだよ」と言っていましたけれど、それにしてもすごいと思います。読書好きの我が家ですら、本棚の棚が傾いたことしかありませんよ。それは気付いたら、いつのまにか斜めになっていました。隙間なく、それこそパズルのように書籍を詰め込んでいたのが原因でしょう。
ただそうやってしまい込んでしまうと、数は入るのですが、取り出すのも大変です。結果、そこにあるものはあまり手に取らなくなるので、やはり適度な数に留めておくのがいいですね。できることなら壁全部を作りつけの棚にして、全体が見まわせるようにできればいいなあと、もう何年も思っています。

国語辞典にまつわる父の思い出

我が家には、表紙がとれてしまったぼろぼろの国語辞典があります。先日、書棚を整理した時に持つだけで崩れてしまいそうだったので、ガムテープで貼りつけたのですが、捨てられないのですよね。他に使うものがないのではなく、父から受け継いだ辞典だからです。
学生時代だった当時、国語の授業があるたびに、辞書を持って行くのはとても大変でした。なにせあれは鞄の許容量の多くを奪いますし、とても重いでしょう?でもだからと言って親に「学校に置いておくために、自宅用のもう一冊を買ってほしい」とは、言えなかったのです。今の学生さんは電子辞書を使うそうなので、縁ない悩みかもしれませんね。
そんな私の小さな苦労に気付いてくれたのが、父でした。彼は自室の押入れに突っ込んだままの段ボールを漁り「ぼろいけど家で使うならいいだろ」と、本当にぼろぼろのそれを、くれたのです。これでずいぶん助かりましたね。まあその頃は、「もっと綺麗なのがいい」と思いもしたのですが……なにぶん、思春期プラス反抗期だったので、しかたありません。ですが今となっては、懐かしい思い出。毎日わけなくけんかを吹っかけていた娘の私に、優しくしてくれた父に感謝をするばかりです。