ゴッホ展

先日東京美術館で開催されているゴッホ展に行って参りました。
なんだかんだゴッホの作品を間近に見る機会はありませんでしたし、ほかにもゴッホと懇意にしていた画家たちの作品や、ゴッホ兄弟や家族が集めた絵画、手紙などが展示されるとあれば、これは見に行かなくては……!と早々にチケットを予約した次第です。
ちなみに私は平日の午前中に向かったのですが、すでに多くの人が来館しておりその人気具合を目の当たりにしました。

ゴッホの人物像と聞いて思い浮かぶのは「死後に功績が認められた」だとか、「思い人の父親の前で耳を削いだ」だとか、「心を病んで自害した」とかそんな話だと思います。
私も小学生の頃に図工の先生からその「有名な部分」の話を聞かされたのが印象的で、よく覚えています。
でも、なんでそうなったのか、バックグラウンドについて気にかけたことはあまりありませんでした。
しかし、今回の展示でやっとフィンセント・ファン・ゴッホの歴史について正しく知ることができたのです。

今回の展示には「家族がつないだ画家の夢」というサブタイトルが付いており、ゴッホ亡き後も彼の功績を世に残すために尽力した弟や義理の妹、甥に関する解説も多く展示されており、今まで知ることのなかった歴史を知ることができた点についてもとても有意義でした。
余談ですが、平日は少し安かったこともあり音声ガイドのセットでチケットを購入したのですが、音声ガイドでしか解説がされない内容も聞くことができたので非常におすすめです。

さて、先述したとおり本展示ではゴッホが集めた絵画やスクラップなども展示されていたのですが、そこから知ることができたのは、絵画を独学で学んでいた彼の努力の証。
敬愛していたミレーの模写(絵画の模写だけではなく、白黒版画を独自の色彩知識でカラーにしたものもある)をしたり、古臭いと言われる絵柄から脱却するために嫌っていた絵の描き方を画塾で学ぶなど、現代人、とりわけクリエイターには必要なことを感じました。

模写以外の絵画でも、実際にその時にゴッホが取り組んでいたこと、学んでいたことが分かるような「成果物」を感じることができ、彼の人生を垣間見えるような展示の組み方に感動したというか、学芸員さんが見せたかったものを感じることができてよかったですね……。

その他色々話したいことはありますが、細かいことは是非実際に展示を見ていただきたいですね!まだまだ期間あるので行ってみてください、おすすめです!

読書してますか?

みなさん読書はしてますか?

読書の良さは、知識や教養を深めるだけでなく、心の成長にも大きく寄与してくれます。

特に小説は、私たちを現実とは異なる世界へと導き、他者の人生を疑似体験させてくれる貴重な存在です。

登場人物の視点で物語を追うことで、さまざまな価値観や感情に触れることができ、想像力や共感力が自然と養われます。また、登場人物の葛藤や決断を通じて、自分自身の在り方を見つめ直すきっかけにもなるのです。

また読書をする習慣は、語彙力や表現力を高め、文章の構成や論理的思考力の向上にもつながります。
これは学業や仕事、日常のコミュニケーションにおいても大きな強みとなると言っても過言ではないです。

さらに、読書にはストレスを和らげ、心を落ち着かせる効果もあります。静かな環境でページをめくる時間は、忙しい日々の中で自分と向き合う貴重なひとときとなるでしょう。

スマートフォンやSNSでは得られない深い感動や気づきを与えてくれるのが小説の魅力です。目に見える情報だけでなく、行間に込められた想いや情景を想像しながら読むことで、より豊かな読書体験が可能になります。

読書は、知識と心の両面を育てる、人生を豊かにする習慣なのです。

長い時間読む必要はありません。
空いた時間、数分間でも大丈夫ですので、読書をする習慣をつけると良いですよ。

泊まれる本屋

本好きのみなさん……大好きな本に囲まれて一夜をすごしたいって思ったことはありませんか?
なんと「泊まれる本屋」というものがあるんです。本に囲まれた空間で宿泊できる施設……本好きにとって夢のような体験を提供するコンセプトの宿泊施設があるんですよ。
まだまだ数は多くないのですが、日本国内に泊まれる本屋さんいくつかあります。
「泊まれる本屋」は、本を読みながらリラックスし、眠くなったらそのまま寝るという「寝落ちの瞬間」を楽しむことをテーマにしています。実に素晴らしいですね!
本棚の中にベッドが組み込まれたユニークなデザインの施設もあり、読書と宿泊を融合させた新しい体験を楽しむことができます。
本は小説、漫画、ビジネス書、洋書など多岐にわたり、施設によっては最大4,000冊以上が揃っていますので飽きることはありません。

有名な泊まれる本屋さんは「BOOK AND BED TOKYO」(東京:新宿、池袋、浅草等、大阪:心斎橋、福岡、京都などに展開するホステルチェーン)があります。
本棚に囲まれたベッドで寝る体験が人気で、カフェやバーを併設している店舗もあります。
価格は1泊5,000円程度から。
宿泊だけでなく、1時間500円程度でカフェスペースを利用可能です。読書や作業にも最適ですね。
イトや楽天トラベル、Booking.comなどのプラットフォームで可能。価格は施設や部屋タイプにより異なるが、BOOK AND BED TOKYOではシングルベッドで1泊5,000円から、キャンペーン時は2,500円程度の割引も(例: 2021年春休みキャンペーン)。

他にも泊まれる本屋増えてきています。
本好きの方はぜひ一度訪れてみてくださいね。

ゆっくり読書

本を読む、文章を読むのが遅いことを気にされている方がいるんですが、本を読むのが遅いことは決して悪いことではありません。
読書の目的は楽しむことであり、速さや量を競争することではないですよね。
自分のペースで楽しく読書をすることが大切だと思います。
読書ペースを無理に早めても内容が理解できなくては意味がありません。
逆にスローペースで読むことにもメリットはたくさんあります。
ゆっくり読むことで、物語の細部やテーマ、感情を深く味わうことも可能ですし。たとえば、小説の情景やキャラの心情をじっくり想像でききたり……。
また時間をかけて読むと内容が頭に定着しやすく、後で振り返ったときに思い出しやすいです。そういえば「あのシーンに似てるな!」とか。
それと急がず読むことで、自分なりの解釈や気づきが生まれたりもします。
丁寧な読書…とっても良いことだと思います。ね、メリットいっぱいでしょ?
読書のペースを気にしながら読んでも義務感やプレッシャーがかかってストレスになるだけです。自分のペースで純粋に楽しみましょう!
読書は楽しんだり学んだりすることがゴールであり、遅いからこそ得られる発見を大切にしたいものです。

ある閉ざされた雪の山荘で

先日、動画のサブスクに「ある閉ざされた雪の山荘で」の映画があったので視聴しました。
「ある閉ざされた雪の山荘で」は東野圭吾さんの長編推理小説です。結構前にですが、こちらの小説読んでます。
こちらの作品、いわゆる叙述トリックものとなっています。なので映像化は不可能なんて言われていましたが、見事に映像化されました。

……まあ正直な感想、その叙述トリックがこの作品の魅力だと思うのですが、その部分が映像だと取っ払われる形となるので、作品本来の魅力はやや失われているかなと。

そのためか、しっくりこない部分もちょこちょこありますし、原作とはことなる設定もやや気になる部分もありました。

とは言えて、じゃあ面白くないのかと言われたらそんなことはありません。
ちゃんと楽しめます。豪華俳優陣が個性豊かなキャラクターを演じてくれますし、原作を知らなくても普通に楽しめます。
わたしは個人的に、ラストは映画のほうが好きです。

けどやっぱりこの作品は、東野圭吾さんの文章のちからによる魅力が多大なので、映画を気に入ってくれた方には原作をぜひ読んでほしいなという感想です。

しかし、最近叙述トリックものがよく映像化されていますよね。
「イニシエーション・ラブ」とか「十角館の殺人」とか。
映像化不可能と言われていても、やり方を工夫すれば可能なんだなと感動を覚えます。
とくに「イニシエーション・ラブ」はすごいなと思いました。

今後も叙述トリックものをぜひ映像化していってほしいものです。

えたいの知れない不吉な塊

皆さんは梶井基次郎の檸檬を読んだことはあるでしょうか。
学校の現代文の授業で取り扱うこともありますし、近現代文学の中でもとても短く、青空文庫でも読むことができるので、とても身近な純文学といえるでしょう。

私は学生の時初めて檸檬を読んだとき、内容をほとんど理解できなかったと記憶しています。親に檸檬について尋ねてみた時も「頭のおかしい男が本屋に爆弾に檸檬置いていく話」くらいの所管が返ってきて、なんとも親子そっくりだなと感じたのを思い出しました。

なんでこんなことをいきなり文章にしているのかというと、最近檸檬を友人と共に読み返す機会があったのです。友人はとても純文学が好きな人で、檸檬に関しても、読む度に、あるいは日によって抱く感情が変わるのだと言いました。前向きに受け止められたり、悲しくなったり、その感情の種類は様々だそうです。
私は、檸檬でそんなことが……?と懐疑的な声をあげてしまいましたが、だったら、と読み直してみたのです。結論、学生の頃よりかは目が滑らなかったかと思います。

――えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終おさえつけていた。

主人公曰く、これは肺病のせいでも精神衰弱のせいでもない、焦燥や嫌悪感。そしてかつて美しいと思ったものや好んだものに対して辟易したような重苦しいものを感じるのに反し、みすぼらしいものや壊れかけた街並みやがらくたを美しいと思うようになった。

そんな書き出しは大人になった今であればどこか理解ができるもののように思います。大衆やマジョリティに対して斜に構えたいわけではないのですが、何となくそれを嫌に思ってしまうような。

――あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。

そんな憂鬱が、ただあたりまえな八百屋のごくありふれた檸檬一つで紛らわされた。きっと普通はそんなことで憂鬱が晴れることなんて考えられないけれど、自分にとってはそれが紛れもない真実であった……。
ここも学生時代には理解できなかったけれど、大人になってみると何となく共感できるような気がします。というか、学生の頃は読解力が足りなくて、どういう意味?となっていた気がします(笑)
仕事でミスをしたり、嫌なことがあったりして憂鬱な時に、何か一つ些細なことでまるっきり心が晴れてしまうような感覚。皆さんはありませんか?
もしかしたら友人が背を押してくれるような感覚になると言っていたのはこの辺りなのでしょうかね。

あるいは、主人公は病で体温が高いのを、檸檬の冷たさが癒してくれるともありましたが、これも精神的な余裕を生んでくれる一助だったのでしょう。丸善に足を運んでみようという気になるくらいには。

結局、檸檬一顆の重さよりも丸善の店内に立ち込める憂鬱の方がずっと重かったようですが。
ちなみに原文では「立てめて来る」とあって、常用しない漢字が含まれていたので調べてみたのですが「罩」には、「かご」や「入れて包む」という意味があるらしく、梶井基次郎は人という籠の中に憂鬱がどんどん流れ込んでくるのをイメージしていたのだなと思いました。まぁ「込める」でも意味はあまり変わらないかもしれませんが。

さて、ここまではいいのですが、ここから先は学生時代の私と同じことを思ってしまったのです。
本屋さんで重たい画集を引っ張り出しては積み上げ、まるで積み木のように本を扱う様に「なんて傍迷惑な!」と。私が本を乱雑に扱うのを厭うことからくる感情なのかもしれません。

さらにはその本の城の上に爆弾に見立てた檸檬を置いて立ち去る……。うーん。本屋の店員さんの仕事が増えて可哀相でなりません。

当の主人公は、きっと背徳感なのでしょうか、くすぐったい気持ちのまま本屋を出て、憂鬱でいっぱいの丸善が爆弾で吹き飛ぶ様を妄想するのです。
まぁ、嫌なものやことに対して、空想の中であれやこれやと仕打ちをしたり、天罰が下ったりするような仕草は私もしたことがあるので、きっとそんな気持ちなのだろうとは考えます。いえそこはいいんです。
まるで子供の悪戯のようにそんなことを……と、ここまで書いてふと思い出しました。
びいどろを口に入れてはその清涼感に癒されていた主人公のことを。幼少期の甘い思い出が大人になって甦り、幼時と同じようにそれを嘗めては享楽に浸っている。

もしかして、それと同じなのか……?
口にびいどろを入れるのは両親にしかられる「いけないこと」で、売り物の本に悪戯するのも到底やってはいけないことです。大人の幼児返りはストレスにより起こるものですが、似たようなものがあるのだろうか……と考えました。

改めて、一文一文しっかり意味を考えてみると、学生時代とはまた違った視点を持つことができました。何となく共感できる部分があったり、今でも許せない部分があったり(笑)
他の純文学も、また読み直したら感想が変わるのかもしれませんね。今度また何か読み直してみようかなぁ。

絵本を読みたい

大人になった今でも、たまに絵本が読みたくなることがあります。
子どものころに読んだ絵本を、「ああ懐かしいな」って気持ちで読みたいというのもあるし、読んだことのない絵本を片っ端から読んでみたいという気持ちも捨てきれません。
絵本って子供向けに作られたものかもしれませんが、大人が見てもすごく魅力的だと思うんですよね。
子どもでもわかるシンプルなストーリーだけど、かならず伝えたい大きなテーマ性があって、読むと心に響くものがあります。
あとは絵本の最大の魅力はやはり、その「絵」ですよね。
アートとして優れている絵が多いと感じます。ストーリー付きの画集のようにも見えます。
人気ですぐれた絵本の絵柄は、グッズ化したりもしますしね。
うちにもはらぺこアオムシ、スイミー、ぞうのエルマーのアパレル、グッズがいくつかありますがすごく気に入ってます。
温かい絵柄だけどアーティスティックですごくおしゃれなんですよね。
そんな感じで見たことない絵本をたくさん読むと、自分に刺さる絵もみつかるかもしれません。
あとは絵本は長編小説と違って、非常に短い時間で読了可能です。
短いから長編より劣っているのかといえば、全くそんなこともなく、あの短い文章で人の心を動かすことができる素晴らしい作品が多いと感じています。

不審者みたいになるからできませんが、子供の頃みたいに図書館の絵本コーナーに長時間ゴロゴロしなが好きな絵本を読みあさりたいですね。

読書する長さ

読書する長さってどれくらいがちょうどいいと思いますか?

もちろん、読む本や気分、環境によって変わってきますが、無理なく読書を継続したい場合は15〜30分くらいがちょうどいいと言われています。

読書する習慣がなく、読書にまだ慣れていないひと、または忙しくてあまり読書に時間を取れない人なら5~15分とかでもOKです。
読書する習慣をつけたいけど、なかなか難しいっていうひとは一日少しの時間でもいいから継続することが大事かなと思います。
面白い、もっと読みたいとおもったら、気づけは30分なんてあっという間だったりしますし。

あとはページで区切るのもありかもしれません。
寝る前に5~10ページだけ読むとか。

自分の興味ある内容のものを少しずつがコツですね。

もともと読書が好きっていう人は、30分~1時間くらいでしょうか。
読みたい本があっても一日の時間というものは限られていますし、集中力も限界があるというもの。
集中して、じっくり内容を理解するならこれくらいの時間が最適かなと思います。
喫茶店に行ってコーヒー一杯を飲み終えるまで読書タイムにするとかも良いかもしれません。

もちろん、先が気になって仕方ない、一気に読み終えたいという方で時間に余裕がある方はいくらいでも!(笑)
わたしも気になる推理小説なんかは、先が気になって眠れなくなったりするので気づけば数時間読み続けているなんてことあります。

自分にあった本と、読書時間が見つかると良いですね!

花粉症

多くの人を苦しめている花粉症ですが。私も例に漏れず通年でその猛威に脅かされています。
外ではもちろんのこと室内にいても、空気清浄機を付けようがマスクをしようが、室内にいても花粉の存在を感じて嫌気がさす日々。
世間で花粉が飛散していると騒がれる月以外も通年で花粉に苦しめられる体質には半ば諦めているのですが、なんでこんなに毎年辛いんだという怒りから、メカニズムを調べてみました。

まず、世の中にはどんな種類の花粉が存在しているのかというと

・スギ
・ヒノキ
・シラカンバ
・イネ
・ブタクサ
・ヨモギ
・カナムグラ

有名なのはスギやヒノキくらいかもしれませんが、通年でこれだけの花粉が飛散しており、最近では「通年病」とも言われているようです。

さらには、毎年毎年飛散量が過去最多と言うニュース。

あ~今年も言ってるな~過去より減ることなんで今後一生ないんじゃないか。と毎年のように思っていますが、なぜそんなことになるかというと。
花粉の量は6~7月にかけての日照時間と気温が大きく関係しており、気温が30℃を超える日が多くなると、花粉の飛散量が増えてしまうのです。つまり昨今の地球温暖化もあり年々花粉症が辛くなるのも必然ということ……。

調べれば調べるほど、どうしようもないんじゃ……。という思いに、より一層なってしまいました(笑)
本屋さんで本を選んで、天気が良ければついでにお散歩をして帰るのが好きなのですが、それも中々腰が重くなってしまいますね……。

漂流教室

少し前に、漫画家の「楳図かずお」さんが亡くなってしまいましたね。
楳図かずおさんの漫画、好きでいろいろ読んでいたので悲しいです。
おろち、洗脳、まことちゃんなんかも好きですが、一番好きな作品は「漂流教室」です。
連載当時問題となった公害をテーマにした、SFホラーもの。
1970年代くらいの時代背景かと思われるので、出てくるものや当時の町並みなどはザ・昭和って感じですが(またそこもノスタルジックでいいんです)伝えたいことは今でも通じるものが多く考えさせられる作品です。
主人公、翔が通う学校が、ある日大きな爆発音とともに学校ごと別世界に飛ばされてしまいます。飛ばされた先は、のちにわかりますが荒廃して砂まみれになり滅んでしまった未来の世界だったんです。
この漫画を読んだ当時は、そんなことあるわけないよ……(でもちょっと怖い)みたいな感覚でしたが……大人になったいま読むと、全然ありえそうな雰囲気があって更に怖いです。
これって核とか使ったのちの世界では?とか、日本もだんだん気候もおかしくなってきてるし、世界でもおかしなニュースがちょこちょこ聞こえてきます。
本当にこのままでは…というリアルな恐怖が押し寄せてきます。
もちろんこの漫画は、恐怖だけではなく大きな希望と感動を与えてくれます。

「僕達はなにかの手により、未来に巻かれた種なのだ」

このセリフ、いまでも忘れられません。

楳図かずお先生の御冥福おお祈りいたします。